クィア・ドラマの未来を夢見て
このように、日本のテレビドラマ界は今、新たな地平を切り開き、新時代へと突入しました。この勢いで、今後もっといろんな局がそれぞれに多彩なクィア・ドラマを手がけていくことを期待します。例えば、日本でも『Lの世界(the L word)』のようなレズビアンのリアルを描くドラマが作られたらいいなと思いますし、ほかにも、バイセクシュアル、FtM、インターセックス(性分化疾患)、アセクシュアル(無性愛)、クエスチョニング(揺れ動き、迷っている人たち)の方たちなどもフィーチャーしてくれたら、うれしいですよね。
ロサンゼルスの街でたくましく生きるトランスジェンダーの街娼たち(やその客たち)の生き様を痛快に描いた映画『タンジェリン』のように、トランス女性を好きになるストレート(?)男性が登場しても面白いと思います(そういう方、世の中にたくさんいらっしゃいます)。
きらめく夜空のような性の多様性、ジェンダー&セクシュアリティの宇宙を素敵に描きだす作品が、もっといろいろ登場することを期待します。
リアルな「性愛」を描く作品にも期待
こんなに素晴らしいドラマがたくさん発表されて感無量、もう何も言うことありません……と言いたいところなのですが、そういう方向性とは別にもう1つ、海外と比べて明らかに足りない、「あれ? 日本ではこういうのできないのかな?」と思う方多数、なジャンルのドラマ群があります。その例が、ドラマ『クィア・アズ・フォーク(Queer as Folk)』です。異性愛規範をはじめ、世の中で正しいとされているあらゆる性規範に抵抗することをポリシーとしている(=クィアである)ブライアンが、心優しい若者・ジャスティンとくっついたり離れたりを繰り返しながら、ゲイが恋愛で幸せになるとはどういうことなのか? と問うようなドラマでした。ゲイのセックスを大胆に描いたこともあり、大ヒットを記録しました(イギリスでのヒットを受けて、アメリカでリメイクされ、シーズン5まで制作されました)。
わかりやすいオネエ系のゲイが笑わせてくれる『ふたりは友達? ウィル&グレイス(Will & Grace)』はNHK総合で放送されていますが、男どうしの大胆な絡みがある『クィア・アズ・フォーク』は日本では一度も放送されていない、という事実に、日本社会のゲイに対する態度がとてもよく表れていると思います。心ある方が少しだけ日本語字幕をつけてYoutubeで配信していますが、いつか全編字幕付きで観れるようになる日が来てほしいと思っています。
また、『LOOKING®/ルッキング』(2014~2015年/アメリカ)は、すでに同性婚も認められ、世界一のコミュニティの結束力を誇り、ゲイの楽園とも言うべきサンフランシスコという街を舞台に、その気になれば幸せにやっていけるはずなのに、ハッピーとは言いがたい……まるで『セックス・アンド・ザ・シティ(Sex and the City、SATC)』のような、3人のゲイたちの生き様と友情を描いた作品です。
ここでくわしいストーリーを書くことは控えますが、ゲイにとって性愛というのは一筋縄ではいかないものであり、どんなに社会がよくなっても、それは永遠の課題であり続ける(「答えのない問い」というものがある)ということを、この上なくリアルに描き出していて、とても他人事とは思えず、胸が締め付けられるような気持ちにさせられました。
ゴトウにとってこの作品は、自分が生きている世界と地続きだと思える、ほぼ唯一のクィア・ドラマであり、心のバイブルです。日本語字幕がないにも関わらずDVDを買ってしまったくらいです。『ルッキング』にもセクシーなシーンがたくさん出てきます。性愛を描く以上、必然ですよね。
これらのように世間で「正しくない」、「ヘンタイ」、「キワモノ」、「倫理に反している」などと捉えられ、社会の片隅に追いやられがちな「性愛」や「性のありよう」こそ、ドラマ(あるいは、小説や演劇や映画)というジャンルで描かれるべきだとゴトウは思っています。
ちなみに、『クィア・アズ・フォーク』はShowtime、『ルッキング』はHBOというアメリカを代表するケーブルテレビ局が制作しています。日本でも、地上波キー局以外のケーブルテレビや衛星放送、ネット配信でもいいので、こういったテーマの良質なドラマが制作される日が来ることを期待します。
以上、クィア・ドラマの過去・現在・未来について書いてきました。良い時代になったとはいえ、まだまだ越えるべき山があり、手つかずで残っている土地があります。ゴトウも夢を見ることをあきらめず、書き続けていこうと思います。