日本一有名なゲーム屋さん閉店
普通の、とても普通のお店です
これは、ゲーム業界においては大変なニュースです。なんで大変なんでしょうか? ゲームズマーヤがなくなるとゲームが売れなくなるのでしょうか? そんなことはありません。 ゲームズマーヤが無くなることで、業界に変化が起こるのでしょうか? おそらく、そんなこともありません。でも、ゲームズマーヤが無くなることで、寂しい気持ちになるゲーム業界関係者がたくさんいます。たくさんたくさんいます。
業界の人に会った時に「マーヤさん、閉店するんですってね……」というと、みなしょんぼりとする、そういうニュースです。おそらく多くのゲーム業界関係者が、ゲームズマーヤ閉店という出来事に対し、ひとつの時代の区切りのようなものを感じているのではないでしょうか。
そして、ガイドも、その1人です。わずかではありますが、ゲームズマーヤと店長の秋谷さんにお世話になったことがあります。時代の区切りの中、ゲーム業界が大事にしていた、ゲームズマーヤというお店について、ガイドの個人的な思い出を、やや散漫ではありますが、つらつらとお話してみたいと思います。
辛辣なおばちゃん
日本一有名なゲーム屋のおばちゃんです
ガイドが初めて秋谷さんとお目にかかったのは、ガイドがゲームのお店に関わる仕事をしていた都合で、メーカーの商談会に通った時期でした。商談会というのは、定期的にメーカーが開く見本市のようなもので、これから発売されるゲームについてプレゼンテーションをし、体験会を開き、ゲームバイヤーさんにアピールをし、商談をする、そういう会です。
秋谷さんは、そこでいつも1番前の席に陣取って、食い入るようにプレゼンテーションを聞き、その後の体験会では気になったことは全部聞き、文句は全て言う、そういう人でした。ゲームのお店の方々は、苦労してゲームを売っています。ビジネスの中では理不尽なこともあります。みんな人間ですから、文句をいいたくなることもあります。しかし、相手はメーカーですから、駆け引きもあります。お店の人同士で集まればいくらでも出てくる文句だって、それをそのままぶつける人はそうはいません。でも、秋谷さんは、ぶつける人でした。自分が正しいと思えば言う人でした。メーカーから見れば、耳の痛いことを言う人であり、本音が聞ける人でもあったはずです。
クリエイターが慕う人
3DSが発表されて大変に盛り上がったE3での出来事です
E3ですから、あちこちにゲーム関連の有名人が歩いていることがあります。ある時、ガイド達の前を、誰もが知る、世界的なゲームクリエイターが通りかることがありました。周りにはマネージャーのような、関係者が数名一緒について歩いている中、秋谷さんがその方にさっと駆け寄ると、サインを書いてくれるように頼んだのです。周りの人間がそれをやめさせて急がせようとすると、クリエイターの方が周りを制止し、サインを書きました。その時、大変に驚いて秋谷さんに、今の出来事をTwitterでつぶやいてもいいかと伺ったところ「ダメよ、わたしが怒られちゃうもの」と言われたのを思い出します。
ですので、この記事でも具体的に名前は申しませんが、そんなことがガイドの目の前で2度ほど起こっていました。実際、ゲームズマーヤの店舗にはゲームクリエイターのサインが所せましと飾られていますし、店舗でイベントを開催すれば、龍が如くの名越稔洋氏や、メタルギアシリーズの小島秀夫氏など、有名なクリエイターが数多く訪れました。
特別なお店
発売初期にPSVRを仕入れられたお店って、全体から考えると本当にわずかだったんです
ガイドが初めてお店に行ったときに、任天堂の販促用の機械がありました。ゲームの情報を調べたり、映像を観たりできるモニターつきの機械です。今でこそ珍しくもありませんが、実はそういったものが出回り始めた頃の話で、当時置いてあるのはヨドバシカメラなどの大手量販店のみでした。秋谷さんに「これ、どうしたんですか? 普通量販店とかにしかないですよね?」と聞くと。「要らないって言ってるのにおいていったのよ。」という返事がかえってきました。本来は、小さなお店では欲しいと言っても置いてはくれないものです。それを、要らないのにわざわざ設置していったというのです。
比較的最近では、2016年にPlayStationVR(以下PSVR)が発売された時の話です。当初PSVRは出荷数が非常に少なく、量販店などのごく一部の限られた店舗のみを公式に販売店として告知し、販売を行っていました。その時、ゲームズマーヤはPSVRを入荷していたんですね。これもゲーム業界関係者からすると、破格の待遇に思われます。
なんでそんなにゲームズマーヤが優遇されるのか、ということを業界内の人に聞いてみると、よく返ってくるのは、秋谷さんの声を聴きたいんじゃないか、という答えです。思っていること、お客さんの反応、そういったことを本音で言ってくれる秋谷さんのところに置いて、その辛辣で耳の痛い話を聞きたいんじゃないか、と答える人は何人もいます。
本当に、お世話になりました
自作の大きなARカードを使って、記念撮影をとったりしていました(イラスト 橋本モチチ)
「マックでDS」がとても有名だったんですが、それをネットカフェで展開した「DSゲームカフェ」というサービスがありまして、ガイドは「DSゲームカフェ」と共同で、10台のニンテンドー3DSを持って、北は北海道、南は福岡まで全国を8か所のネットカフェを回ってみんなで遊ぶ「全国縦断!みんなでニンテンドー3DSを遊ぶオフ会」というイベントをしていたことがありました。
まだ、ニンテンドー3DSが発売されて間もないころです。ニンテンドー3DSには、同梱されているARカードを使って、任天堂のキャラクターがまるで現実の世界にいるかのような写真が撮れる機能がありましたが、そのARカードを手製で巨大にすることで、撮影できるマリオやカービィも人物大にして、参加者と一緒に記念撮影をする、みたいなことをしていました。ちょっと工夫することで、ニンテンドー3DSの基本的な機能をより楽しく遊べ、ニンテンドー3DSってどんなことができるんだろう、と思っている人に、こんな遊びがありますよ、と紹介できるイベントでした。
そのイベントを知った、秋谷さんが連絡を取ってきたんです。ぜひ、うちの店でやりたいと。ニンテンドー3DSをまだ買っていないゲームユーザーに、どんな遊びができて、何が楽しいのか体験してもらえるイベントがしたかったと言うんですね。
ガイドは、ちょっと意外だと思いました。なにしろ、先ほどご紹介したように、有名なクリエイターがわざわざ来てイベントをするようなお店です。もっと名前で人を呼べそうな人に来てもらえばいいじゃないですか。でも、秋谷さんはそういう考え方をしてないんですね。ゲームユーザーに、どうやったらゲームの楽しさが伝わって、買ってもらえるか、そう考えたらガイドのしていた、みんなで遊べるイベントがいいに違いないと、そう思ったようなのです。
ガイドはその頃、自分が主催するゲームイベントをやり始めた頃で、それを拡大したいと思っていましたし、名前でなく、中身で誘ってくれた秋谷さんの気持ちを嬉しく思い、2つ返事でイベントを承諾しました。そのイベントの打ち合わせをした時、秋谷さんと駅からお店に歩いている途中、通りがかりの人に「あのソフト入荷したから買いにおいで!」と声をかけている場面をよく覚えています。まさに街のゲーム屋さんという風情ですが、お客さんの顔を覚えているのはもちろんのこと、好みのタイトルを把握していて、そしてすれ違いざまに声をかける距離感、そんなゲーム屋さんが今あるだろうかと、もう8年も前ですが、当時大変に感心しました。
イベントはたくさんの人に来ていただき、みんなでゲームを遊び、無事終了。イベントが終わると秋谷さんが食事に連れて行ってくれて、旦那さんや娘さん、ご家族で迎えてくれました。ガイドは今では、「ゲームルーム」という、ゲームを持ち寄ってみんなで遊ぶイベントを毎週金曜日に開催していて、ライフワークの1つになっています。振り返れば、その初めの1歩を踏み出したときに、秋谷さんから、うちでやってよと声をかけていただいていました。だからやっぱり、ガイドにとっても、ゲームズマーヤは特別なお店でした。
そんな風に特別に思う人が、きっと昔からゲーム業界にゴロゴロいたんでしょう。自分が何者でもない時に、本音で接してくれて、中身で声をかけてくれて、最初の一歩を一緒に歩んでくれるお店だった、そう感じている人がたくさんいるんじゃないかと思います。そんな小さなお店が、ゲーム業界の多くの人に愛され、大事にされ、そして今、閉店が決まり、本当に惜しまれていると思います。秋谷さん、本当にお世話になりました、本当にお疲れさまでした。
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