「役割」ばかりを期待されると、息苦しい家庭に……
役割を軽視しているわけではない。しかし、「個」の自分を大切にされている実感がないと息苦しくなっていく
たとえば、「稼ぎと守り」の役割を期待される父親役の男性、「世話と笑顔」の役割を期待される母親役の女性……。たしかに、家庭を運営するためにこうした役割はとても重要です。しかしその一面しか見てもらえず、「個」としての多彩な自分の側面が軽視されると、「自分は何のために生きているんだろう……」という思いが強くなってしまうのではないでしょうか。
また、たとえば子どもの中には、家族の期待を背負い「優等生」や「ムードメーカー」「小さなお母さん」といった、家庭の機能維持に役立つ”好ましい役割”を期待されている子もいます。自我が未熟な幼い頃には、そうした家族の期待に応えることを喜びと感じる子も多いのですが、成長するにつれて「役割としての自分」と「本来の自分」とのギャップに直面し、自己矛盾に陥ってしまう子もいます。
このように「家庭や家族はこうあるべき」という固定観念にとらわれていると、家族と過ごす時間は次第に義務化、形骸化していきます。その結果、「家族と一緒に過ごすことは、本当に楽しいのだろうか?」「家庭の中では、できるだけ楽しく装っていなければ」…こうした後ろ向きな気持ちが生じやすくなってしまいます。
「べき思考」にとらわれず、幸せな家族になるための2つの視点
人々が「家制度」に対する強固な信念を持っていた時代には、家庭のため、家族のために人生を費やすことに疑問を持つ人は、今よりずっと少ないものでした。しかし、個人の自由な生き方、伝統に縛られない生活が認められるようになった現代では、「私はどうありたいのか」という自分自身の本音と向き合い、納得した人生を送ることに関心を向ける人が増えていくようになりました。こうした時代、家庭を持つ人のなかにも「家族は大切。でも、自分自身の人生も後悔したくない」「家庭の都合ばかりに従う人生にはしたくない」という思いを持つ人が増えていくようになりました。
人々の意識がこのような方向に向かっていくことを、止めることはできません。したがってこれからの時代、家族と共に生きる人には家庭という共同体を大切にしつつも、「個」としてのお互いの姿、時間を尊重し合っていく姿勢が求められていくように思います。
では、現代を生きる私たちは、家庭をどのようによりよくし、家族とどのようなよりよい関係を築いていけばよいのでしょう。次におすすめしたい2つの視点をお伝えします。
1. お互いの「個」の世界には、むやみに踏み込まない
まず「家庭は、家族がそれぞれの役割を担いながらも、個としての自分を大切にする場でもある」――この前提を家族全員が共有し、尊重し合っていくことが大切です。
「役割」と「個」のどちらも大切。その思いを尊重し合う関係になる
ただし、たとえ夫婦、親子であっても、お互いの「個」の領域に土足で侵入するべきものではありません。個の領域には、本人がオープンにしないかぎりはむやみに踏み込まないことです。
また「個」の世界は、家庭外の場で多様な人と交流することで、高められるものでもあります。そうした家庭外の活動を尊重することが大切です。
2.「個」の世界の感動を語り合えるのが、居心地のよい家族
家族が大切にする「個」の世界。それぞれの世界で味わった感動を家庭内で語り合い、受け止め合い、わかちあうことができれば、家庭はとても楽しい場になります。
ただし、たとえばいつも父親だけが話し、母親や子どもは聞き役になっているケースのように、会話の役割が固定している場合、家庭の楽しさは失われてしまいます。また、誰か一人の価値観を強要され、それを一緒に楽しむことを強いられると息苦しくなります。また、個々の価値観が否定されたり、優劣を批評されたりするのも非常に不愉快なものです。
お互いの「個」の世界の感動を自由に語り合い、誰かの価値観に染まらない、染めようとしない関係にしていくと、居心地のよい家族関係になるでしょう。
こうした家族であるためには、家族それぞれが「個」の世界を追究できる時間や金銭的なゆとりを持っていることが理想です。そのためにも「父は仕事、母は家事」といった固定の役割に縛られず、お互いが協力し合っていくことが必要になります。また、義理や常識の観念にしばられ、さして必要のない付き合いや行事のために、大切な「個」の時間やお金、価値観を犠牲にしないようにすることも重要です。
家族がそれぞれの人生を輝かせ、「個」の可能性を高められる場所にするためにも、以上の2つの視点をヒントに、これからの時代の家族とのかかわり方をじっくり考えてみませんか?