美輪明宏 スペシャル・インタビュー前編
 

美輪明宏undefined長崎県出身。16歳で銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」にて歌手デビュー、「メケ・メケ」のヒットの後、不遇の時代を経て自ら作詞作曲した「ヨイトマケの唄」が話題に。寺山修司の舞台作品や三島由紀夫脚本の『黒蜥蜴』など、多数の舞台・映画に出演。87年にはヨーロッパでもリサイタルを開催。12年にはNHK紅白歌合戦に史上最年長で初出場した。撮影:御堂義乗

美輪明宏 長崎県出身。16歳で銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」にて歌手デビュー、「メケ・メケ」のヒットの後、不遇の時代を経て自ら作詞作曲した「ヨイトマケの唄」が話題に。寺山修司の舞台作品や三島由紀夫脚本の『黒蜥蜴』など、多数の舞台・映画に出演。87年にはヨーロッパでもリサイタルを開催。12年にはNHK紅白歌合戦に史上最年長で初出場した。撮影:御堂義乗

フランスが生んだ不世出の歌手、エディット・ピアフ。軽業師の家に生まれ、極貧の中、パリの路上で歌っていたところを見出され、世界的な名声を得た彼女の半生は、これまでも様々に劇化されてきましたが、彼女の“愛”にフォーカスし、1979年の初演以来上演を重ねてきたのが、美輪明宏さんが自ら脚本・演出・美術・衣裳・主演を務める『愛の讃歌~エディット・ピアフ物語』です。

ご自身も日本を代表するシャンソン歌手であり、シンガーソングライターのさきがけでもある美輪さんは、なぜピアフという人物をこれほど長く演じ、そのレパートリーを歌い続けているのでしょうか。今回は前編・後編の2回にわたり、最新版舞台の稽古を前にした美輪さんへのロングインタビューをお送りします!

現代人は“愛”と“恋”の違いを知らない。
それを教えてくれるのが、ピアフなのです

――エディット・ピアフの生涯は様々にドラマ化、映像化されていますが、美輪さんの『愛の讃歌~エディット・ピアフ物語~』は1979年が初演だそうですね。

「サンシャイン劇場でやったのが最初だったと思います。その初演を娘時代の大竹しのぶちゃんが観て、感動して“自分もいつか(ピアフ役を)やりたい”と決心したんだそうですよ。その後、念願叶ってこの役を(パム・ジェムス作の『ピアフ』で)演じていますが、彼女に限らず、彼女の生涯を上演してくださる方が多いのは、ピアフのために大変結構だと思います」

――何度も演じていらっしゃる中で、ピアフという人物に対する思いもひとしおと拝察しますが、美輪さんが最も共感されるのは、ピアフのどんな側面でしょうか?
『愛の讃歌』

『愛の讃歌』


「私はこの作品の台本を、“愛”をテーマに執筆したんですね。“恋”ではないんですよ。今は“恋”も“愛”も一緒になっていて、どこが違うのかわからない人が多いけれど、昔の人は“恋しい”と“愛しい”をきちんと使い分けていました。“恋愛”とは言っても“愛恋”とは言わないのはなぜか、ご存知ですか?

人間はまず“恋”をしますね。ひとめぼれをしたり、夜も眠れないくらい好きになったり。それは“自分本位”な行動であって、相手を自分のものにしたい、自分が好きだからあの人を誰にも渡したくない……と、自分の“欲望の塊”を押し付けるのが恋なんですよ。

例えば、歌舞伎舞踊の『娘道成寺』に出て来る清姫は、(相手に恋するあまり)蛇となって、相手が釣鐘に隠れたら釣鐘ごと火をかけて焼き殺してしまう。これは“恋”ですよね。あるいは、待ち合わせをして相手が遅れれば、相手より自分のほうが愛しいし大事だから、“なんでこんなに待たせるの”と怒るし、買い物に行けば“これを着たらあの人がかわいいって言ってくれるかな”と、効果ばかりを狙って、自分をよく見せる小道具を買おうとする。これも“恋”です。

それが“愛”(というフェーズ)になると、相手本位になるんですよ。待ち合わせに相手が遅れれば“私が無理をさせたんじゃないかしら、だったら来なくてもいいのに。電車とホームの間に足でも挟まれてやいないかしら”と相手の体のことばかり心配する。どんなに待たされてもいざ相手が来たら“ああよかった”と喜んで、“ずいぶん待った?”と聞かれたら“ううん、私も今来たところ”と相手を思いやる。買い物に行っても、自分のものを買いにいったのに“ああ、これあの人に似あいそう、あの人こういうの持ってなかった”と、相手のものを買って帰るとかね。

愛と恋のはざまで揺れ動いている最中が“恋愛中”であって、“恋”が焼け落ちて、愛の架け橋をわたって“愛の国”に行ってしまうと、何もかもすべて相手本位になるんです。相手が幸せで健康でいてくれればもう自分は何もいらない、それだけで十分。もしその人が別の人を好きになったとしても、哀しいし悔しくても、相手が幸せそうにしてたら、“お元気でね、その人を大事にしてあげてちょうだい。でももし戻ってくることがあったら、あなたの椅子はいつでも空いてますよ”と送り出してあげる、それが“愛”。そしてそれを体現したのが、ピアフという人だったんです。
『愛の讃歌』過去の舞台より。写真提供:パルコ劇場

『愛の讃歌』過去の舞台より。写真提供:パルコ劇場


ところがこれまで、ピアフという人物はとかく“淫乱で麻薬中毒で我儘で男関係が無数で、貧困の中で育って無知蒙昧ではた迷惑な女”として描かれてきました。数年前にも、フランスの映画監督が私の主演した映画『黒蜥蜴』を観てファンになって、わたくしのドキュメンタリーを撮りたいと言って来日したんですね。彼と話をしていたら、フランスではピアフの伝記映画が2本撮られているけれど、いずれもマルセル・セルダンという拳闘チャンピオン(ボクサー)との恋愛で終わっているんです。演劇でも、マルセルが飛行機事故で亡くなって、彼女が狂乱状態になりながら「愛の讃歌」を歌って終わるものばかり、と。

でも彼女は亡くなるときに、こんな遺言を残しているんです。“私がこの世で最も愛したのは、(飛行機事故で亡くなった)マルセル・セルダンです。ただし、私が生まれてからこの方待ち続けた男は、テオ・サラポです”。テオ・サラポというのはギリシャ人の美容師で、ものすごい長身でイケメン。しかもピアフより20歳も年下の青年ですが、マレーネ・ディートリッヒの紹介で彼女が入院していた病院に毎日通い詰めて、(麻薬中毒から)彼女を立ち直らせ、「水に流して」でカムバックさせた人です。

ピアフに近づいたのは財産目的なんだろうという心無い人たちもいたけれど、ピアフは金銭感覚がまるでない人で、なんでもすぐ人にあげてしまうし、私もそういう目にあったことがあるけれど、知らない人たちが……食べていけない芸術家とかがパーティーの噂を聞きつけて、じゃかじゃかやってきて飲み食いする、それも許してるんですね。それにマルセル・セルダンが亡くなったあと、彼の妻子にずっと仕送りをして援助していたというんです。いくら愛した人の家族だからと言って、なかなかできることじゃないですよね。
『愛の讃歌』過去の舞台より。写真提供:パルコ劇場

『愛の讃歌』過去の舞台より。写真提供:パルコ劇場


ですからピアフには莫大な借金があったけれど、テオはそれも知っていたので、財産目当てでないことは歴然としているわけです。そうしてピアフを立ち直らせて、彼女が亡くなると4年かかって彼女の借金を返して、返し終わった時に自動車事故で死んだんですよ。可哀そうでしょう? そして死ぬときの遺言が泣かせるんです。“僕を彼女のそばに葬ってください”。素敵でしょう? それをなぜ描かないのでしょう。テオ・サラポという存在を分析して、承知した上で上演しないと、ピアフの人生に失礼じゃないかと思って、私は3幕目をすべてテオとピアフの愛に割いています。

もう一つ、ピアフの代表曲「愛の讃歌」についての思いもあります。この歌は、越路吹雪さんが日本語で歌ったことで有名になりました。それは流行歌としてはやらせる上では意義があったと思いますが、歌の内容という観点からみると、私はちょっと、頷くことはできないんです。

「愛の讃歌」の原詞は、こういうような内容です。“高く青い空が頭の上に落ちてきたって、台地が割れたって、どうってことはありゃしないわ、あなたのこの愛の前には。あなたが染めろというなら、このブロンドだって染めるわ。……ブロンドを、フランス人は命より大事にしているんですけれどね。……あなたがそうしろというなら、どんな宝物だってお月さまだって盗みに行くわ。もしあなたがそうしろと言うなら、愛する祖国も友達もみんな裏切って見せる。……日本人と違ってあちらは強烈な民族主義でね、愛国主義がすごいんですよね。それが国も裏切るというので、向こうでは今でもこの歌詞は問題になってるんです、この歌詞はよくない、と右の人たちがね。

……どんな恥ずかしいことだって、人前だってなんだってやってみせるわ。そしてやがて時が訪れて、死が私たちを引き裂いたって平気よ、だって私も死ぬんだから。そして死んだ後に、二人は手に手を取り合って、どこまでも広がる真っ青な空の中で、永遠の愛を誓いあうのよ。何の問題もない。そして神様も、永遠に私たちの愛を祝福してくれるでしょう。”

……壮大な愛の歌なんです。ピアフという人は決して無知蒙昧の人などではなくて、詩人のレイモン・アッソーと知り合って、彼から徹底して礼儀作法や教養を教え込まれた。彼女ももともと聡明な人だから、それを手に入れて、何十曲も作詞作曲しているんですね。あるシャンソン歌手が来日した時に、あれはマルグリット・モノ―が作曲したことになってるけど、実際のところはメロディもピアフが作ったんだと言っていました。ピアフにしてみれば、誰が作ったというのはどうでもいいことらしいんですよ。それだけ彼女は大きい人で、この歌は世界一の愛を表現した歌。そのことをきちんと伝えたいと思うんですね。

この曲を朝ドラの『花子とアン』、その後紅白歌合戦で披露した時には、“こういう内容の歌だなんて知らなかった”と、大変な反響でした。SNSでもいい意味で、大炎上していましたね。やっぱりまだまだご存知でない方もいらっしゃるから、機会があるごとにこうして歌っているんです」

“窓ガラスが震える”ほどの声量で歌っていたピアフ

撮影:御堂義乗

撮影:御堂義乗


――だからこそ、美輪さんは舞台でこの歌を歌う際、はじめに日本語訳をモノローグ的におっしゃり、続いてフランス語で歌っていらっしゃるのですね。歌手としてのテクニカルな部分でも、美輪さんはピアフに共感される部分がおありでしょうか。

「ピアフの一時代前に、「人の気も知らないで」などを歌っていた、ダミアという歌手がいて、作家の安岡章太郎さんは、ダミアの方が声が温かくてヒューマンな感じがする、ピアフはどこか冷たく聞こえると言っていましたが、私はピアフの声は素晴らしいと思いますね。

以前、山口淑子さん(李香蘭)がピアフのショーをニューヨークでご覧になって、窓ガラスが震える程の声量でびっくりしたと言っていましたが、ピアフの歌声というのは子供の頃から培われてきたものです。実際にパリの街に行ってわかったのですが、パリの建物はどこも上に上にとそびえているんですね。彼女は軽業師の父と街角で歌っていたけど、普通に歌っていては、とても家の中にいる人たちがお金を投げてくれません。家の間取りだって、家ごとに異なりますからね。そんな中で毎日、歌っているうちにあの声、あのボリュームになっていったんです」

――シャンソンというと、ムードが先行で言葉はその次という方もいらっしゃいますが、美輪さんの歌もピアフの歌も、非常に言葉が粒だって、明瞭に聞こえます。

 

「彼女の発音で特徴的なのが、rですね。パリの人はその方が粋だと思って巻き舌を使いませんが、ピアフはパリ生まれにもかかわらず、巻き舌を通しています。ジュリエット・グレコなどとは対照的な発音ですね。やはり彼女は表(屋外)が生活圏で、雑音にも負けず、遠くの人に聞こえるように歌ってきたということがあるのでしょう。

私の場合は、やっぱりもごもごと歌って雰囲気に酔っているのでは、作詞家に申し訳なかろうと思うわけです。ジャック・プレヴェールなんていう詩人の神様が「枯れ葉」(の歌詞)を書いていますが、あれも本当にきれいなフランス語が、輝くように作られているんですよ。作者が、どういう雰囲気の中で何を言おうとしているのか。

1920年、30年あたりというのはアールヌーボーの黄金期でね、退廃美が流行っていたでしょ。だからダミアみたいに退廃美の女王みたいな歌い手が出てくるし、文学ではカフカの『変身』、美術ではダリみたいな人がいっぱい出てきました。映画や美術、ファッションに生活様式も含め、作品が生まれた背景を頭の中に叩き込んで、それをお客様に提供する。その雰囲気の中にお客様を巻き込んでいって楽しんでいただくというのが、歌を歌うということなんです」

インタビュー後編では舞台『愛の讃歌』で美輪さんが厳選したシャンソンの数々を丁寧に解説、また“全身全霊のパフォーマンス”の原点をたっぷり語っていただいております。



*公演情報*
2018年美輪明宏版『愛の讃歌』~エディット・ピアフ物語~ 3月31日~4月15日=新国立劇場中劇場、4月20日=日本特殊陶業市民会館ビレッジホール、5月26日=福岡市民会館、6月1~3日=梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ



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