ボランティア

レッドリボン運動とは?エイズ(HIV)への理解と支援

レッドリボンとは、赤いリボンを身に着けることで「エイズを理解し、差別や偏見を持たない意志」を示すものです。乳がんのピンクリボン等と並んで有名なリボン運動ですね。12月1日はWHO(世界保健機関)によって定められた「世界エイズデー」、この期間はレッドリボンを目にする機会も多くなります。レッドリボンの歴史や意味を振り返りながら、エイズの今を考えてみましょう。

筑波 君枝

執筆者:筑波 君枝

ボランティアガイド

12月1日は世界エイズデー(World AIDS Day)

レッドリボン

レッドリボンはエイズ啓発活動のシンボルです

12月1日は世界エイズデー(World AIDS Day)です。エイズに関する啓発活動などを目的に1988年にWHO(世界保健機関)によって定められました。エイズ(AIDS)の啓発活動を推進し、エイズがまん延することを防ぎ、患者や感染者に対する差別・偏見の解消などをめざします。

そのシンボルがレッドリボンです。

身に付けることで、エイズへの理解と支援を示すリボンとして、1980年代後半頃から使われるようになりました。今でこそ、ピンクリボンオレンジリボンなど、アウェアネスリボン(Awareness ribbon)による啓発活動が当たり前になっていますが、当時はリボンで支援の意思を示す活動はありませんでした。レッドリボンはリボン運動の先駆けといえます。

もともとヨーロッパでは若くして亡くなった人たちへの哀悼を表す意味で、レッドリボンを身に付ける古い風習があったそうです。それが1980年代後半からアメリカでエイズで亡くなる人が増え、特にNYで音楽や美術、演劇などで活動する多くのアーティストたちが、エイズによって命を落としました。その追悼の意を表すために、仲間のアーティストたちがレッドリボンを付け始めたといわれています。

エイズは同性愛者がかかる病気という偏見が根強かった時代。そういった偏見に反発する意味もあったのかもしれません。

フレディの死がレッドリボンが広がるきっかけに

1991年には世界的なロックバンド、QUEENのヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーが45歳という若さで、エイズによってこの世を去りました。偉大なるヴォーカリスト、フレディの死は、世界中のファンに衝撃を与え、エイズの恐ろしさを改めて突きつけました。

同時に、翌1992年にイギリスの首都、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで「フレディ・マーキュリー追悼コンサート」の開催されたことが、レッドリボンが広がるきっかけのひとつにもなりました。

コンサートはエイズ撲滅を掲げたチャリティとして開催され、収益金はもちろん、グッズやのちに発売されたCDやビデオの売上も寄付されました。そしてこのコンサートで、QUEENの名曲を歌うライザ・ミネリ、エルトン・ジョン、デビッド・ボウイ、ジョージ・マイケルなど、そうそうたるアーティストたちの胸に付けられていたのがレッドリボンだったのです。

その姿が世界中に伝えられ、エイズ支援のシンボルとしてのレッドリボンが、多くの人の胸に刻まれていきました。
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