アフリカのマラウイで青年海外協力隊の一員として活動しながら、歌手としてデビューし、大ヒットさせた日本人がいます。それが、山田耕平さんです。その功績から、NEWS WEEK誌が発表した「世界が尊敬する日本人100人」にも選出されました。

いったいどんないきさつで、青年海外協力隊員がCDデビューしちゃったのでしょうか? 11月25日に行われた東大駒場祭でのライブにおじゃまし、インタビューをしてきました。

協力隊員がみたHIV感染の深刻な現実

山田耕平さん。1979年9月5日、名古屋市生まれ。学生時代に台湾に留学したことを契機に、国際協力の仕事に興味を持ち、愛知大学を卒業後、青年海外協力隊員としてマラウイに赴任されました。
山田耕平さんは2003年12月から2006年3月まで、青年海外協力隊の一員としてマラウイに赴任。タンザニアとの国境近くのカロンガという地域で、村落指導員としてかんがい(川や湖から水を引き、田畑を潤すための設備)指導に携わりました。

そのかたわら、マラウイのHIV感染の広がりを食い止めるため、エイズ予防の啓発ソング「ディマクコンダ」を作詞。自ら歌手として歌い、CDデビューしてしまったのです。

マラウイは、タンザニア、モザンビーク、ザンビアに囲まれた内陸国です。世界でもエイズウイルスの感染率が最も高い国のひとつです。サハラ以南のアフリカ諸国のHIV感染者は、全世界の3分の2を占めているといわれますが、マラウイは中でも深刻な国といわれています。

マラウイ政府の2005年の発表によると、エイズを発症して亡くなる人は1時間に10人にものぼるのだとか。エイズの症例が確認された1985年からの20年で60万人もの人がエイズで亡くなったという報告もあるほどです。平均寿命は40歳を下回っています。

感染の背景にある“無知”

マラウイ共和国は北海道と九州を合わせたほどの大きさで、首都はリロングウェ。国土の約20%がマラウイ湖で占められています。マドンナの養子騒動の舞台となったのもこの国です。
そういった深刻な状況は、地域社会を揺るがし、社会活動の基盤すら危うくさせています。農村開発に携わっていた山田さんも、日常的にエイズが原因で多くの人が亡くなっていく現状を、目の当たりにしてきました。

「毎日のように人が亡くなっていくんです。一緒に仕事をしていた農業省の職員が、その家族がということが日常でした。人事課は葬式のアレンジばかりしているような状態なんですよ。職員が亡くなれば葬式、職場の家族が亡くなれば葬式と、正直、『また葬式なの?』って思うくらい。そんな中でできることはないかなと思ったことがきっかけでした。」

人口約1120万人ほどのマラウイのHIV感染者は、なんと約90万人。年間約8万7000人がエイズで亡くなっています。公式の感染率(15歳~49歳)は14~15%ですが、これは、HIV検査を受ける人が限られた中での数字です。実際の感染率はこれよりもはるかに高いといわれています。

マラウイでHIV感染者が広がる背景には、人々の“無知”があります。HIVを知らない、知っていても「自分だけは関係ない」と思ってしまう。さらに検査をしたくても場所が限られている、予防するにも簡単にコンドームが手に入らないといったエイズを取り巻く環境も大きく影響しています。

「キミが歌った方がインパクトがあるよ」

ムカラ・マリロ氏
11月末にはマラウイのトップミュージシャンも来日し、各地のライブで共演しました。左はしが作曲者のムカラ・マリロ氏です。
「HIVの検査に行こう」「エイズをもっと知ろうよ」というメッセージを、多くの人に伝えるにはどうしたらいいか。その表現方法として山田さんが選んだのが音楽でした。

「街角で曲を耳にすれば、その場で自然に体が動いてしまうほど、音楽はアフリカの人々の生活に根付いています。歌でエイズ問題を訴えれば、多くの人に届くと思い、歌詞を作り、以前から交流のあったマラウイのトップミュージシャン、ムカラ・マリロのところへ持っていたんです。『こういう歌を作ったから曲をつけて、歌ってくれない?』と。」

ところが返ってきた返事は「キミが作ったんだから、キミが歌えば? 日本人であるキミが歌ったほうがインパクトがあるよ」というものだったそう。

「ええ? と驚きましたよ。それまで人前で歌ったこともなかったですからね。でも、僕が歌ってダメなら彼らが歌うだろうからと、軽い気持ちで引き受けたんです」

それが「ディマクコンダ」でした。

次ページではディマクコンダがどんな歌か、またマラウイの人たちの反響をご紹介