ムハマド・ユヌス氏は、本国では敬意を持ってプロフェッサー・ユヌスと呼ばれる経済学者であり、多くの人の絶大な支持を集める銀行家でもあります。「ムハマド・ユヌス自伝」は日本で唯一読める氏の自伝です。
2006年のノーベル平和賞は、バングラデシュの農村で貧困層に無担保融資を続けてきたグラミン銀行と、同銀行を設立したムハマド・ユヌス総裁に贈られることが決定しました。ムハマド・ユヌス氏は、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞をはじめ、数々の賞を受賞し、その功績は、本国、バングラデシュのみならず、各国で大きな評価を得ています。でも、日本では知る人ぞ知るといった感も否めません。

そこで、緊急企画! ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏ってどんな人? マイクロクレジットってなに? グラミン銀行ってどんな銀行なの?等々、知っておきたいユヌス氏の功績や人となりをまとめました。「ムハマド・ユヌス自伝」(早川書房)の翻訳者で、All About「幼稚園・保育園」ガイドの猪熊弘子さんからも熱いメッセージいただきましたので、合わせてご紹介します。

【INDEX】
ムハマド・ユヌス氏ってどんな人?……P1
マイクロクレジットとは?……P2
貧しい女性にお金を融資することの意味……P3
ユヌス氏をもっと知るための2冊……P4



貧困なき世界を目指す銀行家

バングラデシュの首都、ダッカの庶民の台所、ニューマーケット近辺にて。多くの人と派手なリキシャー(人力車)が行き交う光景は目を見張るものがあります。
ムハマド・ユヌス氏は、バングラデシュで生まれ、アメリカで経済学の博士号を取得した経済学者です。マイクロクレジットと呼ばれる貧困層を対象とした事業を考え出し、グラミン銀行を創設し、現在も総裁を務めています。

グラミンとはバングラデシュの公用語、ベンガル語で“村落”の意味。世界最貧国の1つに数えられるバングラデシュで、農村の女性や貧困層の自立を目指すことに由来する名前です。どんな人でも融資を受ける権利があり、それは基本的人権の1つだといい、そのための手法として編み出されたのが、グラミン銀行の根幹をなす事業、マイクロクレジットです。マイクロクレジットは、既存の経済学の論理をくつがえす革命的な事業と評され、途上国だけではなく、アメリカ、フランス、北欧など、世界60カ国以上に広がっています。

ユヌス氏が目指すのは貧困の撲滅です。「世界の貧困人口を2015年までに半減させる」ことを掲げ、新しい発想で貧しい人たちに融資をし、一方的な援助ではなく、自立を促す事業を展開していることから「貧困なき世界を目指す銀行家」と呼ばれています。

故国の大飢饉で、人生が一変

ユヌス氏は、1940年にバングラデシュの港町チッタゴンで、宝石店を経営する中産階級の家庭に生まれました。チッタゴン大学を卒業し、母校で4年間、経済学講師を務めた後に、フルブライト奨学金を得て米国に留学。1972年に帰国し、母校の経済学部長となりました。いわば、将来を約束されたエリートだったわけです。

そんなエリート経済学者の人生を一変させたのは、1974年にバングラデシュを襲った大飢饉でした。この年の8月、大洪水に見舞われ、食料不足に陥ったバングラデシュは、全土で5万人を超える餓死者を出したのです。

教室を一歩出ると、バタバタと人が死んでいく現実に直面したユヌス氏は、死が近づいているとわかっている人に対して何もできないことに、経済学の無力さを感じたといいます。そして、貧しい人たちは、何が本当に必要なのか、貧困をなくすために何ができるかを知るために、大学の近隣にある農村で聞き取り調査を始めました。

貧困の原因は、わずかなお金を持てないこと

農村の女性たち。識字率はわずか40%、女性は30%程度といわれます。自分の名前すら読めない・書けない女性は珍しくありません。
このとき、話を聞いたのは42人。その人たちが必要としていたものは合計でわずか27ドルの現金でした。カゴなどの竹細工を作り、それを売ることで生計を立てている人が、その材料を買うわずか1ドルにも満たない現金を持てないことで、貧困の構図から抜け出せないでいたのです。

その事実は、ユヌス氏に大きな衝撃を与えました。そして返済の期限を決めずに「少しずつ返してくれればいい」と自分のポケットから、27ドルを貸したのです。担保はありませんでしたが、後に全額が返済されたといいます。その後も、同様の手法で多くの農村でお金を貸しましたが、1度も貸し倒れはありませんでした。

この経験をベースに「弱者のための銀行を作ろう」と教授の職を辞し、1983年、グラミン銀行を発足させたのです。それがすべてのはじまりでした。

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