セクシュアルマイノリティ・同性愛/LGBT

フジ「保毛尾田保毛男」クレームや謝罪の流れと考察(5ページ目)

9月28日夜、フジテレビが「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念スペシャル」でゲイを侮蔑するような「保毛尾田保毛男」というキャラクターを復活させ、非難や抗議が相次ぎ、社長が謝罪。その後もいろんな声が上がりました。この件についての経緯をまとめつつ、ゴトウなりの意見も少しお伝えします。

後藤 純一

執筆者:後藤 純一

同性愛ガイド

  • Comment Page Icon

メディアの侮辱表現をできるだけ少なくするために

テレビや新聞・雑誌、Webメディアなどで、ある特定の集団(なかんずく社会的マイノリティ)を侮辱するような表現が横行している場合に(個人の特徴や個性ではなく、ある特定の集団を○○だと言って偏見を助長させることを差別と言うのではないでしょうか)、その集団に触れることをタブーとしたり、「言葉狩り」をするようなことは、本末転倒だと思います。

乙武さんがおっしゃるように、ゲイであることも背が低いことや頭髪が薄いことと同じレベルになる(言い換えると世の中から「ホモフォビア」がなくなる、あるいは「スティグマ」が払拭される)時代が早く来てほしいです。しかし、それが一朝一夕に解決しないのは明らかで、何らかの現実的手段をとっていくことが必要です。

どんな方法があるでしょうか?

本来は、義務教育のなかで、LGBT(セクシュアルマイノリティ)の子たちもいるんだよ、と教えるのがいちばんです。子どもたちはきっと素直に理解してくれます(「そんなことを教えて子どもが同性愛に走ったらどうする」などと言うのは、ホモフォビアにまみれた大人の偏見です)。しかし、現実には、「性的マイノリティの子どもたちを取り巻くシビアな現状」でもお伝えしたように、学校の先生の間でも理解が進んでおらず、(今年が改定のチャンスだったのですが)教科書に載せてほしいという願いも認められず……まだまだ課題は山積みです。

アメリカでは、GLAAD(中傷と闘うゲイ&レズビアン同盟)という団体があり、テレビなどのメディアでLGBTを侮辱する表現がないかをチェックし、何かあれば抗議するという監視活動をしています。それだけでなく、映画やテレビ番組、新聞報道などについて、LGBTを公正に扱っている、特に優れた(素敵な)表現であると言えるものを、GLAADメディア賞というアワードイベントで表彰しています。多くの企業がスポンサーにつき、セレブも出演するような(レディーガガも表彰されています)華やかなイベントで、ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコの3都市で開催され、大々的に報道もされます(日本にもニュースが届けられるくらいです)。素晴らしいですよね。

GLAADが設立されたのは、1985年のエイズ禍の時代。『ニューヨーク・ポスト』紙がエイズに関する中傷的でセンセーショナルな報道を行ったことに抗議するため、活動家のヴィト・ルッソ(彼ものちにエイズで亡くなっています)らによって立ち上げられました。GLAADの設立メンバーの一部は「ACT UP」の創設にも携わっていますが、それは当時の「エイズはゲイの癌」などという社会の偏見(スティグマ)に殺されようとしていた人々の命を懸けた闘いだったのです。

同じ頃、すでに女性や有色人種や性的マイノリティについての公民権運動を経験してきたアメリカで、人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的で公正な(使ってもよい、安全な)言葉遣いや表現を定めようという運動が起こっていました。ある人がマイノリティを侮辱する発言をして、大勢が傷つき、発言者が非難を浴び……ということを繰り返すよりも、「ここに気をつければ大丈夫」というガイドラインを決めておくことで、無用な差別的事案や争い事を減らし、社会をうまく回していこうとする考え方で、PC(ポリティカルコレクトネス)と呼ばれています(とゴトウは解釈しています。もっと詳しく的確に書かれているのが「ポリティカルコレクトネス(ポリコレ、PC)を解説します」という記事です。読んでみてください)。トランプ政権誕生以降、「ポリコレ疲れ」とか言って差別を正当化しようとする人たちが増えたように感じます……悲しいことです。

日本でもちゃんと、「日本民間放送連盟放送基準」で性的マイノリティへの配慮が義務づけられていますが、相変わらずバラエティ番組では「オネエ」系の方たちが「おっさんやんけ」などと嘲笑され続け、今回のような事件も起こってしまいました。
(「オネエ」という言葉自体も、「オカマ」と言ってはいけないから「オネエ」にしておこう的な発想での単純な置き換えであり、言葉だけすげかえた、いわば見せかけのPCで、ホモフォビア自体は温存されてきた、根本的には理解してないんじゃないかという気がしてなりません)。

フジテレビの阿部知代さん

東京レインボープライドのオープニングレセプションで司会を務める阿部知代さん

先述のとおり、フジテレビは先進的にゲイを登場させ、社内にも阿部知代さんのようなアライの方もいらっしゃって、いろいろ素敵なことをやってきてくれました。しかし、今回の番組の制作にかかわった方々は、保毛尾田保毛男というキャラの罪深さ、これまでどれだけゲイを侮辱し、傷つけ、スティグマを植え付けてきたか、学校でこれを真似する子どもたちが増えることで、同性が好きかもしれないと感じている子どもたちにどんな悪影響が及ぶか、といったことまでは考えが及ばなかったようです。テレビに限らず、メディア表現にかかわる方は、責任ある大人として、社会的マイノリティ(周縁化されやすく、肩身の狭い思いをしがちな属性の人々)を侮蔑するような表現に対しては、最低限の敏感さを持ってしかるべきではないでしょうか。


しかし、BPOの見解は「バラエティの表現の自由の範囲内」に

……というふうに「締め」を書いたところで、信じられないことに、BPO(放送倫理・番組向上機構)の放送倫理検証委員会が、今回のアレは「バラエティの表現の自由の範囲内」だとする見解を発表しました。

いったいBPOって何のためにあるんでしょう。アレが許されるなら、どんな侮辱表現だってまかり通ってしまうじゃないですか。めまいがしそうです……。もしアメリカのテレビで「イエロー猿男」とか「のっぺり吊り目子」みたいなキャラが大々的に放送され、日本人が学校でいじめられたり、職場を追われたり、ひどい差別を受けて、鬱になったり自死する人が出ても、国も公的機関もそれを黙認、というのと同じようなことですよね……。

PC以前に、この国には果たして人権ってあるんでしょうか?と問いたくなります。差別する自由ばかり守られて、いじめられたり、差別されたり、死に追いやられさえする人たちは守られないのです。

と書いていたら、今度は、フジテレビの「とんねるずのみなさんのおかげでした」公式サイトに謝罪文が掲載されたというニュースが届いたので引用します(毎日のように新たな出来事が……まるでジェットコースターのようです)。
番組は、LGBT等性的少数者の方々を揶揄する意図を持って制作はしておりませんでしたが、「ホモ」という言葉は男性同性愛者に対する蔑称であるとのご指摘を頂きました。そのような単語を安易に使用し、男性同性愛者を嘲笑すると誤解されかねない表現をしたことで、性的少数者の方々をはじめ沢山の視聴者の皆様がご不快になったことに関して、深くお詫び致します。またこのキャラクターが長年に渡り与えていた印象、子供たちへの影響、およびLGBT等をとりまく制度改正や社会状況について私共の認識が極めて不十分であったことを深く反省しております。

ああ、ちゃんとわかってくれたんだなぁ、と思いました。感謝したい気持ちにさえなりました(先述の方たちの平和的・建設的な話し合いのおかげだと思います。ありがとうございます)。


  • 前のページへ
  • 1
  • 4
  • 5
  • 6
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます