何度話しても癒されないのは「本物の感情」ではないから?
友達と会うといつも同じ会話の繰り返し…。でもいくら話してもすっきりしないのはなぜ?
例えば、気付けばいつも「私はダメだ」「どうせ何をやってもうまくいかない」といった話を繰り返している……。自分の元を去っていった人のことを忘れられず、「あのときもっとこうしていたら……」と、後悔の念を何度も口にしてしまう……。
このように自分が感じているつもりの感情を何度人に話してみても、その感情が癒される感じや解放感を味わえない場合、話している感情が「本物の感情」ではない可能性があります。
「代理の感情」で、「本物の感情」をごまかしていませんか?
例えば、「交流分析」という心理学の理論では、心の奥には4種類の「本物の感情」があると考えられています。それは、「喜び」「悲しみ」「怒り」「おびえ」です。自分の本当の気持ちは、本来こうしたシンプルな感情から発しているはずなのに、その気持ちを受け入れることができず、本当の素直な気持ちに蓋をし、他の「代理の感情」を使ってお茶を濁していないでしょうか? これでは「本物の感情」は一向に解放されないため、何度も同じような愚痴を繰り返し、何度話してもすっきりしないループにはまってしまいます。
私はカウンセリングの場で、こうした「代理の感情」を抱えているであろう方々によく遭遇します。たとえば、先の例のような「私はダメなんです」という劣等感の話を繰り返す方や、「あの時〇〇していたら」という後悔の話を繰り返す方です。
こうした気持ちにその都度寄り添い、共感的な対応を繰り返しても、なかなか快方に向かっていかない場合があります。そうした場合、その人が話す感情が「代理の感情」であり、その奥にある「本物の感情」に触れることができていない可能性があるのではないかと考えます。
「劣等感」や「後悔」の底にあるかもしれない「本物の感情」
「代理の感情」の奥にある「本物の感情」について深く洞察してみましょう
あるいは、「後悔」の話に終始する人の心の底にもやはり「悲しみ」の感情があったり、「怒り」の感情が潜んでいたりするのかもしれません。大切な人を失った自分の「悲しみ」をしっかり抱き留めることができず、自己を責めることで悲しみと向き合うことを無意識のうちに避けている場合があります。または、自分の元を去った人に対して強い「怒り」があり、その感情に気付いてしまうと自己を制御できなくなるのではないかと、恐れている場合もあります。
「本物の感情」に気付けば、自分自身が浄化される
「代理感情」と「本物の感情」の関係には、一定のパターンがあるわけではありません。したがって、上の解釈がすべての人にあてはまるわけではありません。また、交流分析では本物の感情は4種類(喜び、悲しみ、怒り、おびえ)だとされていますが、この他にもベーシックな感情はありそうです。たとえば、「愛している」という思い(愛情)や「嫌だ」という気持ち(不快)などもそうかもしれません。いずれにしても、いつも同じような話を繰り返し話していてもすっきりしない、もやもやした思いが残り続けてしまうという人は、心の底にある「本物の感情」に気付き、その感情を解放していくことが大切だと思います。自分自身で気づくこともできますが、カウンセリングやヒーリングによって気づきのサポートを受けることも可能です。
または、感情を受け止めてくれそうな人が周りにいるなら、その人と一緒に「本物の感情」を探索してみるのもよいかもしれません。相手の話を聞く側の方が、本人より深い感情を感じ取れる場合があります。「私の話を聞いてどう感じる?」と聞き、その人が感じたことをフィードバックしてもらう。そのことによって、「代理の感情」の奥にある「本物の感情」に気付くことができるかもれません。
「本物の感情」に気付くことができると、心の中で未消化になっている思いが解放され、浄化されます。「何度愚痴や繰り言を伝えても自分が変わらない」……。そういう思いがあるなら、「本物の感情」と向き合うべきタイミングなのかもしれません。