マラケシュのハイライト、ジャマ・エル・フナ広場
ジャマ・エル・フナ広場。手前にオレンジ屋台が見える。左の塔はクトゥビア・モスクのミナレット
エスカルゴ屋台
レストラン街を通ると「ニホンジン、コニチハ、ヤスイヨ!」「マケトクヨ!」「コッチコッチ!!」といった掛け声や「ソンナノ関係ネー」なんて古いギャグまで飛び出してくる。こうしたウザさと人懐っこさがたまらない。
広場の南半分は大道芸やゲームのコーナーだ。あちらこちらに人の輪ができており、その中心では民族系のミュージシャンやダンサー、占い師、マジシャン、蛇使い、猿回しなどが芸を披露し、景品釣りや輪投げなどが行われている。
蛇使いのコブラ
こうした文化が評価されて、この広場は世界遺産であると同時に、「ジャマ・エル・フナ広場の文化的空間」としてユネスコの無形文化遺産・代表リストにも登録されている。
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オアシス都市・マラケシュの歴史
ベン・ユーセフ・マドサラの天井装飾。中央上は垂れ下がる鍾乳石を模したイスラム装飾=ムカルナス
マラケシュのランドマーク、クトゥビア・モスクのミナレット
ムラービト朝は北アフリカ・イベリア半島・西アフリカにまたがる大帝国を築き、ベルベル人が古来得意としていたサハラ交易や地中海貿易によって繁栄し、マラケシュは両者をつなぐ貿易拠点として発展した。
1147年、イスラム神秘主義を掲げるベルベル人の一派が反乱を起こしてマラケシュを占領し、ムワッヒド朝を建国する。占領の際に街は徹底的に破壊され、宮殿やモスクのほとんどが失われた。この時代の遺構はジャマ・エル・フナ広場やクバ・アル・バディン廟など、ごく一部しか残っていない。
なめし革職人街タンネリ。皮をなめしたり染色している様子が見学できる
ムワッヒド朝は1212年にキリスト教連合軍に敗れてイベリア半島を失うと、急速に衰退。1269年に滅亡すると小国に分裂し、マラケシュはフェズを首都とするマリーン朝の支配下に入る。16世紀、サアド朝の時代に再び首都として返り咲くが、17世紀に現王朝であるアラウィー朝に滅ぼされてしまった。
アラウィー朝の下でバディ宮殿をはじめサアド朝時代の多くの建物が破壊された一方で、バヒア宮殿やアグダル庭園が建設されて地方の有力都市としてあり続けた。