クラシック音楽に抱かれて育った日々

『スクルージ』(2015年公演)撮影:田中亜紀

『スクルージ』(2015年公演)撮影:田中亜紀

――田代さんの“これまで”のお話も伺いたいと思うのですが、小さいころはどんなお子さんだったのですか?

「父が歌(声楽)を、母がピアノを家で教えていて、我が家には幼稚園生から音大生までの生徒さんが来ていたので、ハイハイしていた頃から、人のレッスンを100万回くらい聴いていました(笑)。グランドピアノがあって、僕も触りたかったけれど、大人がこぞってさわりにくるのでなかなか部屋が空かない。たまに空くと何時間も延々と弾いていましたね。その延長で、いつの間にかピアノを習いだしていたという感じでした」

――他のものには興味が湧かなかったのですか?

「湧く暇がないくらい、ピアノに夢中でした。幼稚園生の時には、気がついたら5時間以上飽きずに弾いていたくらいです。他のジャンルの音楽は僕のいた環境には無く、テレビも家ではほとんどつけていなかったので、“音楽=クラシック”。僕にとっては数ある音楽ジャンルの中からクラシックを“選択”するという意識は全くありませんでした」

――その美声は、ご自身で発見されたのでしょうか?

「いいえ、全然。小さいころからいろんな楽器をやっていましたが、歌を始めたのは一番遅かったんです。声楽の世界は、特に男性となると30歳くらいでやっと新人の仲間入りができると言われていて、音大受験の頃なんて、プロになれるかどうかなんて、まだ目安にはなりません。

僕は幸運にもストレートで入れましたが、同期には他の音大を出てから入ってくる方とか、6浪ぐらいして入ってくる人もいたので、その時点で10歳以上離れていて、体つきも全然違うんです。18歳の僕なんてひょろひょろだし、声変りも僕は15歳で遅かったからまだ成熟してない声で、どうがんばっても年長の同期生たちの立派な声には勝てません。自分の声に何かを見出したから(受験した)というより、ただただ(オペラの)舞台に立ちたいという思いで入って行きました」
『Chess The Musical』撮影:村尾昌美undefined写真提供:梅田芸術劇場

『Chess The Musical』撮影:村尾昌美 写真提供:梅田芸術劇場

――でも何か光るものがあったからこそ、現役合格されたのでは?

「声楽を始める人の中には、楽譜があまり読めなかったり、運動部だったけどすごく声がいいから合唱団とかの先生に勧められてという方も多いのですが、僕の場合はピアノの他に管楽器と弦楽器もやっていて、楽典とかソルフェージュの(アカデミックな)基礎はやっていたので、そこのスタートは早かったんですよね。声や歌はまだまだでも、その他の基礎分野で有利だったので、なんとか採っていただいたのかな、と勝手に思っています」

――ミュージカルへの興味はいつ頃から?

「大学を卒業してからですね。学生時代はクラシックしか歌っていませんでした。在学中に“ミュージカルのオーディションをうけてみませんか”とお誘いいただき、参考にと、ある作品を観に行ったこともあるのですが、すごく頭がいたくなってしまって(笑)。というのは、マイクやスピーカーを使う舞台というものを観たことがなく、あまりの音の大きさに体がびっくりしてしまったんです。その後、だんだんと好きになり、映画を見るような感覚で何本かミュージカルを観に行きましたが、“イコール=自分がミュージカルをやる。”』とは当時は全く想像が出来ず、大学の4年間はクラシックだけに没頭していました。

大学を卒業してヨーロッパに留学するかオペラ団体に入ろうかなと思っていたところ、エスコルタというボーカル・グループのオーディションのお話をいただきました。そのCDデビューから1年後に、『マルグリット』のオーディションのお話をいただいたんです。オペラ『椿姫』がベースとなっているのでミュージカルという印象は全くなかったし、ミシェル・ルグランのクラシカルな旋律も魅力でした。

さらに当時ロンドン・ウェストエンドで上演していたので観に行ったら、僕がそれまで思っていた“ミュージカル”とは全然違うものだったんです。PAガンガン、ではなく、生声が聴こえてきましたし、演出も美術も(ロンドン版でも後の日本初演版でも)オペラの方が担当されていたんですよ。これならやりたい!と思い、挑戦しました。そういうわけで、当初は『マルグリット』をやるのであって、これからはミュージカル俳優になるんだ!という意識は全くありませんでした」

オペラとは勝手の違う“演技”に苦労した
初ミュージカル

『マルグリット』(2009年公演)撮影:田中亜紀

『マルグリット』(2009年公演)撮影:田中亜紀

――その『マルグリット』ではヒロインを愛する若い男、アルマン役。歌唱力はもちろんですが、非常に生々しい人物造型が新人離れしていました。

「演技については、当初すごく苦手意識が高かったです。役柄上9割が歌で、台詞のシーンは1割くらいでしたが、はじめは歌う時と喋るときでは人格が違う、と自分でも思えました(笑)。たくさん稽古をしていただきましたね」

――オペラやオペレッタにも演技はあるので、経験はおありだったのでは?

「オペラはイタリア語やドイツ語で基本台詞は無いし、日本語上演のオペレッタでも、『舞台語発音』と呼ばれる発声での台詞しか発したことがなかったので、マイクがある中での台詞芝居はとても難しかったです。また、オペラだと主役級の役は青年役でもベテランの歌手が演じることが多く、ミュージカルでは主役級でも実年齢に近い役者が演じるので、出ずっぱりの役というのも初めてでした。そういう意味では本格的なお芝居は『マルグリット』が初めてでした。

また、ミュージカルだとマイクをつけるので、今話しているくらいの声量でも客席には聞こえますが、オペレッタだと台詞も生声で喋るので、例えば2000人に聞こえるひそひそ話をしなくてはいけない。それに加えて横や後ろを向いて喋ると客席には聞こえないとかいろんな制約があって、ミュージカルとはまた違う技術(舞台語発音)が必要だったりするんです。

大学では、『舞台語発音』という名のつく授業もあったくらい。そんなことで、初ミュージカルでは台詞の声が無駄に大きかったり(笑)、いきなりシングル・キャストで48公演を歌うというのも初めてでしたので、すごくとまどいました」

――「役を演じる」ための感性がそれまでの人生で磨かれていたのではと拝察しますが、例えば田代さん、学生時代から5年間、書店でバイトをされていたんですよね。私も出版社時代に書店研修がありましたが、書店のお仕事は本がぎっしり詰まった段ボールを運んだりと、実はものすごく力仕事。本当に本が好きな人でないと続かないと思います。

「重労働なんですよね。確かに本はいっぱい読んでいて、エスコルタのデビュー前後や『マルグリット』の稽古中にまだ書店で働いていた時期もあったので、自分が表紙になった演劇雑誌をレジで売ったりしていました(笑)。

学生だと飲食のバイトをする人が多いかもしれませんが、引越した時に一度カフェでバイトしてみたら、食器を洗う洗剤が喉に支障があったり、冷蔵庫の冷気が首にあたるという弊害が出たので、喉を守るためにやめ、最終的に引越先でも書店にしたんです。当時は平日は書店で働いていましたが、土日はいくつかのホテルのチャペルで歌う、結婚式の聖歌隊の仕事もしていました」

絶望と希望を経験した小学5年生の出来事

『スリル・ミー』(2012年公演)撮影:田中亜紀

『スリル・ミー』(2012年公演)撮影:田中亜紀

――また、小学生の時に大病をされたのですよね。股関節の大腿骨頭を…。

「はい、大腿骨頭すべり症という病名でした。5年生から6年生にかけて、つま先から胸や脇のあたりまでの全身を石膏ギブスで固定していました。前半の半年間は自宅で完全寝たきり、後半の半年間はギブスが少し小さくなって松葉杖での生活を過ごしました。前半は学校に行けなかったけど、後半の数か月は階段を昇れないために、校舎の1階で『保健室通い』。そのうち同じく1階にある調理室にクラス全員が引っ越してきてくれることになり、そこで授業を受け、何とか進級できました。

それまでバイオリンとピアノとバスケットと空手をやっていたのが全部できなくなって、寝たきりになってしまったのでもちろんつまらなかったけど、めげたりはせず、すごくポジティブ思考でした。自宅でたくさん本を読みましたね。下手をすると(その生活を)満喫していたくらいです。担任の先生が、毎日交代でクラスの中の3人が学校帰りにうちに寄ることにしてくれて、毎日誰かがその日何があったとか、話しに来てくれるんです。今日は誰が来てくれるのかな、と楽しみでした。

はじめは大腿骨頭すべり症ではなく、大腿骨頭壊死症と診断されていたので、“股関節から左足を切断し、一生車いすか、義足にするしかない”と言われた時はさすがに絶望も感じましたが、子供だったことで当時は親のほうがショックで。いろいろな病院をまわりましたが、その中で唯一「切らなくても大丈夫、それは大腿骨頭すべり症だ」と言ってくれたところがあって、それを信じることにしたんです。

当時の経験は、今の僕の考え方の根底にあると思いますね。役者をやる上でも糧になっていると思います。今振り返ると本当に地獄で、一人で起き上がれないから水も飲めないし、家族の有難さももちろん痛感しました。幸運なことに、今は後遺症もありません」

――音楽一家のご出身ということで、ともすれば浮世離れし、苦労には縁遠い方のようなイメージを田代さんについて持つ方も多いかもしれませんが、決してそうではないのですね。

「ハンバーガーを食べてたら、“田代万里生もハンバーガー食べるのか!”とびっくりされたこと、ありますね(苦笑)」

“現場”を訪れ、実感できた
『エリザベート』フランツの心情

『エリザベート』写真提供:東宝演劇部

『エリザベート』(2015年)16年6月からの公演でもフランツを演じる予定。写真提供:東宝演劇部

――過去の出演作のお話に戻りますが、昨年は『エリザベート』で鮮烈なフランツ像を見せてくれました。1幕の終わりで妻であるエリザベートへの思いを、狂おしいまでに歌声で表し、絶品でしたね。

「『エリザベート』は2010年にフランツの息子、ルドルフ役を演じまして、その時は無我夢中だったので、フランツがどんな父親でどんなシーンで何を言って…というのを、そこまで徹底的には見ていませんでした。でも自分がフランツをやることになって台本を読んだときに、“そうか、ルドルフはエリザベートをこう見てたけどフランツはこう見ていたんだ”“こういう流れでこういう気持ちでルドルフは言っていたんだ”と、発見がいろいろあったんです。実在の人物なので、ヒントになる資料がたくさんあるんですよね。それをいっぱい読んだりして、結果ああいう表現になりました。

最近もプライベートでウィーン、バートイシュル、ブダペストに行って、宮殿はもちろん、フランツの別荘とか、戴冠式の場所などを観てきたんです。1幕の「扉をあけて」の舞台となった場所も見てきて、フランツの部屋からここを通ってこう曲がって、ここの扉でシシーに言ったんだな、その扉の厚さはこれくらいだったんだな…といったことが分りました」
『エリザベート』(2010年公演)写真提供:東宝演劇部

『エリザベート』(2010年公演)写真提供:東宝演劇部

――実物はかなりの距離があった、とか?

「それが、そんなことはなかったんです。思ってたより小さく、コンパクトな空間でして。非常に勉強になりましたね。距離感を体感できたので、また違った気持ちで今年の再演でフランツを演じられるなという気がしました」

――歌声という点では、『エニシング・ゴーズ』のビリー役も印象的でした。「It’s De-Lovely」「All Through The Night」のような軽やかで洒落た曲を朗らかに歌われていて、あの年代の音楽が非常にフィットしていましたね。

「1934年のコール・ポーターの作品ですね。この時期はオペレッタの時代とも重なっていて、『エニシング・ゴーズ』や『キス・ミー・ケイト』といったミュージカルが作られるいっぽう、オペレッタ『メリー・ウィドウ』で有名なレハールの『微笑みの国』などが5年前の1929年に初演されたりもしているんです。

そんなこともあって非常にテイストが似ている。『エニシング・ゴーズ』はオペレッタの人たちがそのままやってもできるし、ビッグ・バンドも今時の電子楽器・シンセサイザーとかでなく、生のオーケストラ編成のみで演奏されます。喜劇的な内容もまさにオペレッタで、ビリー役には自分のルーツをはめやすかったです」
『エニシング・ゴーズ』(2013年公演)写真提供:東宝演劇部

『エニシング・ゴーズ』(2013年公演)写真提供:東宝演劇部

――今後どんな田代さんが拝見できるのだろうというところで、まず、田代さん、ダンスのある演目はいかがでしょう? 『エニシング・ゴーズ』では軽々と踊っていらっしゃいましたが。

「『エニシング・ゴーズ』のビリーは、どちらかといういと“踊れる役”ではなくて、瀬奈じゅんさん演じるリノにひっぱられて、“僕、踊れないのに~”といいながら踊るという役でした(笑)。ダンスによって出演する作品の幅も広がるので、とても興味があります」

――チャレンジしたい作曲家は?

「あらゆる作曲家にチャレンジしてみたいです。昨年、(『エリザベート』で)フランツをやった後に『チェス』のアービターという役をやったのですが、(アバのビョルン・ウルヴァースとベニー・アンダーソン作曲の)楽曲が完全にロックで、生まれて初めてエレキギターと共に歌いました。

あの作品では、本来の声楽的ジャンルで言えば、僕はクラシカルな(主人公の一人でロシア人の)アナトリー向きかもしれません。年齢設定は僕より上ですが、昨年韓国で上演された時は若い俳優さんがアナトリーやフレディ役をやって、アービターはずっと年上の方が演じられたみたいですし、スウェーデン版のアービターは、市村さんのようなかなりのベテラン役者さんが演じていました。いろんな形があるんですね。アナトリーには“アンセム”というソロがあるのですが、それは僕のコンサートでも歌ったりしています。

先日のウィーン旅行の時に『チェス』のオープニングシーンでもあるブダペストにも行ったのですが、ブダ王宮の前にあるお土産屋さんでチェスのセットを見かけ、思わず記念に買ってしまいました。ブダペストカラーのグリーン色のチェスです」

目指すは“田代万里生”というジャンル

――表現者として、今後どんなヴィジョンをお持ちでしょうか?
『Chess The Musical』撮影:村尾昌美undefined写真提供:梅田芸術劇場

『Chess The Musical』撮影:村尾昌美 写真提供:梅田芸術劇場

「もちろん見極めて選択することは大事だけど、食わず嫌いにはならず、新しいことにどんどん挑戦していきたいです。僕のように生声でクラシックコンサートを行っているミュージカル俳優さんは決して多くはないですし、最近はクラシックコンサートの司会やナビゲーターのお仕事をいただくこともあります。

そういったクラシック普及活動も続けつつ、ミュージカルも最前線で頑張っていけたら。“(彼は)ミュージカルの人だよね”“クラシックの人だよね”ではなく、肩書のいらない“田代万里生”というジャンルを目指します。もちろんミュージカルが主軸ではありますが、クラシックの勉強はこれからもずっとしていきたいです」

――改めて、田代さんにとってミュージカルの魅力とは?

「オペラと比べると、スピード感が全然違います。この前ウィーンでオペラを見たら、間奏曲がやたら長く感じたのですが、昔は電気も無かったので、盆(回り舞台)を動かしたりセットを変えるのも全て人力。必然的に間奏曲が必要だったんですよね。

(電気の普及した今、)近代のミュージカルだとオーバーチュア(序曲)がある作品は少ないし、4分、5分の間奏曲のある作品もありません。ミュージカルは“今の時代”に一番マッチしたエンタテインメントではないでしょうか。そして一口にミュージカルといっても、作曲家や脚本家、そして演出家によって演劇的要素が大きかったり音楽主体であったり。かなり自由で、幅があるという点も魅力です」

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観客を物語に引き込む卓越したテクニックと豊かな感性・表現力を併せ持つ田代さん。ソンドハイム論においては客観的に、かつ熱く丁寧にその特徴を解説し、また“もちろんミュージカルが主軸”と語るその姿に改めて、この“逸材”がミュージカル界に現れたことの幸運を感じずにはいられません。

先輩方の演技、生き様から多くのことを学んでいるという彼が今後、どのように日本のミュージカルを牽引してゆくのか。大きな期待とともに、『スウィーニー・トッド』『エリザベート』…と続いてゆく彼の一歩一歩を見守って行きましょう!

公演情報*『スウィーニー・トッド』4月18日~5月8日=東京芸術劇場プレイハウス
*次頁に『スウィーニー・トッド』観劇レポートを掲載しました*