服部さんが思う、モノクロームサーカスの醍醐味とは?
服部>やはりコンタクト・インプロヴィゼーションの部分が一番だと思います。それと、公成さんが配置するダンサーのレイアウト。キャラクターを見抜くのがものすごく上手いから、その精度の高さが面白かったりする。彼の考えるレイアウトと、そこで動いてるキャストたちのキャラクターの面白さ。ダンサーなんだからひとりくらいスッとしたひとがいてもいいじゃないですか。でもモノクロームサーカスにはいない。いい意味で立ち姿からして個性的で、普通のひとが本当にいないんですよね。そこがいいなと僕は思っているし、ダンス以上のものを感じる瞬間もある。ヘンなやつらです(笑)。森>自分たちはすごく普通だと思っているんですけどね(笑)。でも何回回転するとかどれだけ足が上がるかといったいわゆるダンサーのスペシャルな魅力より、普通に歩く姿が美しい方が私はいいなと感じたりもする。だから、すごく普通のことをもう一回見直しているところはあります。
細かい部分まで見ていると、そういえばこんなとき自分はどんなポーズを取っていたんだろうと考えさせられる。椅子に座る姿勢という話から始めたら、日常あまりにも当たり前に通り過ぎていて、道具の使い方を客観的に見ることであらゆる参考にしてもらえるのではないかと思っています。道具の使い方の可能性を引き出してもらいたいと思ったのが最初のきっかけだったので、そういう意味ではパーフェクトですね。
作品としての『TROPE』の完成形とは?
坂本>それを見極めるのはなかなか難しいですね。まずは道具がない状態でモノクロームサーカスのダンサーが持っている身体性を提案して、道具とさんざん関わって、その後またさーっと道具がなくなったとき残された身体にどんな風にその痕跡が残るかを問う。そうやって自分なりに小さな仮説をつくったり、ストーリーを描いていきました。これまで三回続けてきたなかで、仮説としているストーリー自体はそれほど大きく変わってないけど、ダンサーも物にかなり馴染んできている。今回はそれをどこまで複雑に使いこなせるかという部分で、ちょっと目標を高くしてみようと考えています。服部>まだまだ可能性はありそうな気がしますよね。今の生活って、固定概念の塊じゃないですか。1LDKという概念の中で暮らしている=1LDKというアクティビティのなかで暮らしているということであり、それは1LDKというひな形でしかない。その暮らしから一歩出ることもたぶんできるはず。もっと拡張すれば、リビングに束縛されない、ダイニングに束縛されないような時間も過ごせるかもしれない。
天板をテーブルとして扱った瞬間、そこはダイニングだったり勉強する場所だったり食事する場所になる。でもそこに寝る場所だとか、生活のアクティビティが少しずつ増えていったとき、一日の完結の仕方もたぶん違うだろうし、だからまだまだやれることがいっぱいあると思う。人間の豊かな生き方みたいなものがこの作品であらわせたら、すごく面白いなって思います。きっとまた新しい道具がぽろっと来た瞬間に動き方も変わるだろうし、次の楽しみがやってくると思う。できればシリーズとして続けていきたいですね。
坂本>道具の面では、前回の再演時には長いベンチが加わったり、プロダクトラインに乗って誕生した家具が新たに舞台に登場しました。今回のバージョンでは過去二回の家具を使いつつ、各シーンの構成を変えたりと、バージョンアップをはかっています。ただ『TROPE』としては、これで終わりとは言えないのかもしれない。観たひとにとって謎が残るように終わりたい。自分だったらどう使うかなというような、謎々みたいに終わっていけたらなと思っているんですけどね。