『TROPE』のクリエイションはどのように進めていきましたか?
坂本>プロダクトが少しずつ送られてきて、それを組み合わせたらどういうものができ上がるか試したり、ただ並べるだけの状態で一度客観的に物を見てみたり、もう少し話を複雑にしていったり……。上演も二回目くらいになると、ダンサーの身体に家具の形状や重さ、質感がインプリントされた状態になってくる。なのであまり定義せず、家具を組み合わせて工事中の現場を連想させるような、スクラップアンドビルド的な状態で動かすこともあります。ひとつひとつの家具と身体で面し合い検証していく作業と、組み合わせて何が起こるかという作業を並行していった感じです。ときには脚がない状態で天板の下にもぐって四つん這いになるとこれも机として成立するよね、という発想も出てきたりと、いろいろ編集していく作業を通して作品にしていきました。
森>ダンサーの立場としては、最初は家具が立つか立たないか、どういう強さを持っているか、どう置けば面白いかなど、身体を交えながらその家具の性質を確認していきました。なので、ひととコンタクト・インプロヴィゼーションをするのと同じような感覚ではあります。ヘタに立てたら倒れるし、物も対話すれば返ってくる。まるで物が動いているかのように見せたいという想いがあって、物と対等に接している気がします。ただひとは有機物なので柔らかく反応してくれるけど、家具はぐにゃんと受け止めてくれることはない。この角度でこの強さでなら支えてくれるけど、この角度だと倒れるんだ、ということを検証していきました。
包丁なんて特にそうで、西洋包丁はハンドルが指の形状に掘られているけど、東洋包丁は丸筒だから慣れる時間が必要になる。包丁には相手を殺傷する力があって、相手に近づいていく訳ですよね。道具に近づくというのは相手に近づくこと。でも西洋の考えでは道具は道具なので、こちら側にあるものなんです。自分を守るためのものであって、相手のことはあまり考えられてない。
森>東洋の場合は常に相手に敬意を持つという意識を前提にプロダクトができ上がってる。時間をかけることで相手を理解する。お魚の気持ちも、お肉の気持ちもそうだし、コンタクト・インプロヴィゼーションもそう。共に相手をリスペクトしながら動くという考え方で、私たちにとってはすごくやりやすい。今となっては物もひとと同じように考えられるし、なおかつ有機物である自分たちと道具との違いも確認している感覚がある。みんながその意識を持っているから『TROPE』のリハーサルはすごく幸せです。物に対する意識とひとに対する意識と、意識の開かれ方が『TROPE』は幸せだなって感じます。
服部>それはたぶん入り方に気付けたからだと思う。包丁にしても何にしても、使いこなせた瞬間の喜びってあるじゃないですか。それを自分たちで見つけ出せた喜びがあるから。作り手としてはすごくありがたいですね。
僕ら人間は地球上で重力と向き合ってる、立ってること自体にエネルギーを使ってる。一方で道具として成立するのは重力との均等生を保っている物であり、そういう意味ではTROPEのプロダクトは重力に耐えられないし、誰かの支えがないと成立しない。その付き合い方みたいなものが、たぶんひとを強くすることも、賢くすることもあり、育てていくことだと思うんです。
演出・構成は坂本さんと服部さんのおふたりが手がけます。振付という概念とはまた違うのでしょうか? 作業の棲み分けは?
坂本>純粋な意味で振りをつくったり動きをつくったりというのは、ダンサーに委ねている部分がすごく大きいですね。実際に物に対してもらい、動きを個々に見い出していく。それらを時間軸的に整理しているのが僕の作業で、服部さんにはプロダクツのデザインとしてビジュアル面でのディレクションをしてもらっています。服部>稽古場で通したものを見せてもらい、ここはこういう方がいいのではという話を僕の方からすることもあります。このセットとこのセットがくるけど、そこに間が必要なのではとか、客観的な意見を伝えたり、ディスカッションをしていく。ただ僕はパフォーマンスに関しては素人なので、直接ここがこうという指示は公成さんにお任せしている感じですね。