実力派同士のハーモニーは格別。前回公演より。(c)Jun Wajda
『レ・ミゼラブル』は僕にもブロードウェイ級の
才能があるんじゃないかと思わせてくれた (ロベール)
ーーそれは可哀想に。その後、『レ・ミゼラブル』の様々なプロダクションに参加なさったんですね。ロベール モントリオール版とカナダツアーの後、フランス版に参加。パリのモガドール劇場に1991~1992年、約1年間出演したよ。
『レ・ミゼラブル』はメジャーリーグ並みのミュージカルだった。僕にもブロードウェイ級の才能があるんじゃないかと思わせてくれた。
1995年、ロイヤル・アルバート・ホールでの『レ・ミゼラブル』10周年コンサートにフランス代表として出演した時、プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュが「ロンドンに来ないか」と訊ねてきて。翌年、僕はウエストエンド公演に出演した。ちょうどその頃、彼らはブロードウェイ版10周年記念公演に向けてキャスティングしている最中で、今度はキャメロンが「ブロードウェイに出ないか?」と聞いてきたんだ。そこで1997年、ブロードウェイ公演に1年間出ることになったわけさ。
ーー『レ・ミゼラブル』は世界中で公演されていて、ジャン・バルジャンを演じた俳優も大勢いるはず。カナダからパリ、ウエストエンド、ブロードウェイと進出できたのは、やはりロベールの並外れた歌声と表現力ならではでしょうね。『レ・ミゼラブル』の経験から得たものは?
ロベール たくさんあるよ。いろいろな演出家についたのも、いい経験だった。モントリオールではリチャード・ジェイ・アレキサンダー、ウエストエンドではジョン・ケアード、ブロードウェイではジョン・ケアードとトレバー・ナンだった。
『レ・ミゼラブル』を作る過程は、たくさんの即興をしたりして、まるで学校みたいでもあった。この経験をケベックで教えるのに役立てたいとも思っている。
フランス語と英語、どちらもできることで、
世界への扉が開いた (ロベール)
ーーロベールは若い頃、ミュージカルスターになると予期していましたか。ロベール 全くしていなかった。歌うことは好きだったけど、ケベック出身でフランス語を話す。ミュージカルは英語圏が本場ということもあり、言語の壁ゆえにできないものだと思っていた。でもフランス語と英語、どちらもできることで、扉が開いたんだ。
父がブロードウェイに来た時、「自分の息子がブロードウェイの舞台に立つ姿を観ることになるなんて、夢にも思わなかったよ」と言ったくらい、ありえない話だった。実に素晴らしい経験だったよ。
もちろんケベックの人々はミュージカルの存在を知っているし、ブロードウェイでも観たことのある人が多い。しかし文化として根付くのはまだこれからだから、人を育てていきたいね。
あ、このインタビューではミュージカルのことばかり話しているけど、カナダの人気テレビドラマシリーズ『Lance et compte』(ケベックのアイスホッケーチームを描いた二ヶ国語ドラマ)をはじめ、テレビ俳優としても活躍していることを書いておいて!
ーーわかりました(笑)。お2人は『ニューイヤー・ミュージカル・コンサート 2016』で来日していただけますね。
マット 『フレンチ・ミュージカル・コンサート 2014』が素晴らしかったから、今回も楽しみだよ。自分の持ち歌はもちろん、意外な曲も歌うから期待してほしいな。
ロベール 日本の観客の皆さんはとても熱心に聞いてくださるから嬉しいね。食べ物も美味しいし、東京に行くのが待ちきれないよ!