俳優から作曲家、ミュージカル役者へ。
夢はミュージカルの学校を作ること (ロベール)
ーーロベールもビートルズがお好きなんですね。ロベール・マリアンのソロは圧巻。前回公演より。(c)Jun Wajda
キャリアとしては、最初、俳優をやっていて、その後歌手になり、その後、演出家になった。ケベックでは、学校を卒業したばかりの若者のカンパニーで多くの作品を作った。僕は演技、歌、作曲と、全てできてしまうから。
マット ケベックでロベール・マリアンといえば、ミュージカルスターとしてだけでなく、テレビドラマや演劇、音楽と様々なジャンルの表現者として知られている。つまり共演者の僕たちは毎夜、無料でロベールのレッスンを受けているようなものだね(笑)。
ロベール 僕の夢はミュージカルの学校を作ること。ケベックには演劇学校、ダンス学校、音楽学校とあるけれど、ミュージカルの学校はない。だから様々な芸術を一度に学べる学校が必要だと思っている。実際に計画したこともあるけど、資金が足りなくて頓挫してしまってね。だけど僕には講師陣をはじめとするスーパーチームがいるから、頑張るよ。まだ夢だけど。
ーーでは、ロべールはどのようにしてミュージカル俳優になったのか、お話しいただけますか。
ロベール 先ほども話した通り、僕はもともと演劇出身で、ひょんなことから劇場音楽の作曲家になった。最初のうちはミュージカルというより、音楽劇を手がけていた。しばらくしてセルジュ・ラマのコンサートやミュージカル『ナポレオン』に参加し、どのようにミュージカルを作るのか、現場でノウハウを覚えることができたんだ。そのうち、サルバドール・ダリと妻ガラについてのミュージカル『ガラ』をやった。同時期に、トロント版『レ・ミゼラブル』のオーディションがあったけど、『ガラ』をやっていたので行けなくて。
1年後にモントリオールの二ヶ国語版『レ・ミゼラブル』のオーディションがあって、そこでオリジナルのジャン・バルジャンになれたことで、人生が変わったよ。
『レ・ミゼラブル』を英語とフランス語で上演。
時にはどちらを歌うのか、混乱することも (ロベール)
ーーロベール・バルジャンの誕生ですね。ロベール トロント版『レ・ミゼラブル』では英語、フランス語両方で歌っていた。週に5回をフランス語でやり、3回を英語で上演する。火曜は英語、水曜と木曜はフランス語、金曜は英語、土曜は昼夜ともフランス語、日曜の昼は英語、夜はフランス語という具合に。
ーー今日は英語なのかフランス語なのか?と、頭がごちゃごちゃしませんでしたか。
ロベール もちろん、混乱するさ。カンパニーとしては、フランス語の時はオーケストラピットの指揮者が青いタイ、英語の時は赤いタイをつけることで区別していたのだけど。
ある時、フランス語公演の時、バリケードのシーンでシーンと静まりかえる中、アンジョルラスが突然、英語で歌い始めたこともあった。他のキャストは全員、内心「あー!」って慌てたね。
また他の時、30回公演の間で1回だけフランス語の公演があった。その時、「誰が英語で歌っちゃうだろう?」と事前に皆で予想していたわけだけど。案の定、英語で歌ったキャストがいた。誰だったと思う?それは子供のガブローシュだったよ(笑)。「君は俺に10ドル損させたな」と言うと、彼は公演後に大泣きしちゃった(笑)。