世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

ローマ歴史地区/イタリア・バチカン

地中海沿岸部をグルリと征服して空前の大帝国を築いたローマ帝国。首都ローマは世界でもっとも豊かな都市となり、コロッセオ、パンテオン、カラカラ浴場といった奇跡的な建物が次々と建設された。それから千年以上を経た15~16世紀にはルネサンスの中心となり、芸術の都として蘇る。今回はイタリア/バチカン共通の世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂」

アヴェンティーノの丘、マルタ騎士団の館から見たサン・ピエトロ大聖堂

アヴェンティーノの丘、マルタ騎士団の館の門扉の鍵穴から見たサン・ピエトロ大聖堂。ローマはテベレ川と七つの丘(アヴェンティーノ、ヴィミナーレ、エスクイリーノ、カンピドリオ、クイリナーレ、チェリオ、パラティーノ)に囲まれた土地を中心に発展した。いずれの丘も世界遺産登録範囲内にある

ヨーロッパ、西アジア、北アフリカにまたがる地中海をグルリと征服し、空前の大帝国を築いたローマ帝国。それまで世界の中でもヨーロッパは辺境にすぎなかったが、これ以降、ヨーロッパの飛躍がはじまった。

コロッセオ、フォロ・ロマーノ、パンテオン、カラカラ浴場等々、ローマには約2000年前の偉大な遺跡群が多数残されている。今回は、ローマ歴史地区の7大名所やローマ帝国の歴史をはじめ、世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂」の概要を紹介する。

ローマ一押し! カンピドリオの丘~フォロ・ロマーノ~コロッセオ

フォロ・ロマーノ、サトゥルヌス神殿

フォロ・ロマーノの幻想的な景色。左の8本の柱はサトゥルヌス神殿のポルティコ(列柱廊)、中央奥はアントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿、手前右の列柱跡はバシリカ・ユリア、右奥の三本柱がカストルとポルックス神殿

カンピドリオの広場

ミケランジェロがデザインしたカンピドリオの広場。幾何学模様のモザイクとバロック様式の建造物群が荘厳さを醸し出している

これまで世界中で古代遺跡を見てきたが、もっとも気に入っている遺跡のひとつがローマ歴史地区だ。そしてローマの中でも特に好きなのが、カンピドリオの丘からフォロ・ロマーノを通ってコロッセオに至る遺跡地帯!

フォロ・ロマーノ(Googleマップ)

カンピドリオの丘にはカピトリーノ美術館やカンピドリオ広場があるのだが、建物のファサード(正面)や広場のモザイクはミケランジェロの設計。この空間がなんとも心地よい。私はフィレンツェのアカデミア美術館で彼のファンになってしまったのだが、この広場も大のお気に入り。広場の脇に立つサンタ・マリア・イン・アラコエリ教会のミニマルなファサードも本当に魅力的。これらは14~16世紀の建設で、ロマネスク~バロック期の美学を存分に堪能できる。

 

コロッセオ

コロッセオ。4層構造で80のアーチによって支えられており、アーチ同士は横につながり、楕円を描くことでバランスを保っている。重機のない時代に造られたとは到底思えない

カンピドリオの丘の南東に広がるのがローマ帝国の中枢、フォロ・ロマーノだ。カンピドリオの丘の建物や広場は約500年前の作品だが、フォロ・ロマーノは約2000年前の遺跡。1500年の時間差などものともせずに調和しているのがローマなのだ。それだけ昔の遺跡なので完全な姿で残っている建物はほとんどないが、その廃墟ぶりが絶妙で、夕方フォロ・ロマーノをボケーッと眺めているだけでなんだかとても幸せな気分になるのである。

さらに南東にあるのが言わずと知れたコロッセオ。全長188m、高さ50mという予想以上の巨大さに度肝を抜かれるが、この遺跡、なんと西暦80年前後の完成だ。この頃、日本は弥生時代。登呂遺跡が同時期の集落跡なのだが、比較するとコロッセオがいかにケタ外れの建物かよくわかる。

 

ローマ建築の奇跡! パンテオン

パンテオンの夜景

ミケランジェロが「天使の設計」と称し、ベルニーニが「完璧」と評したというパンテオン。ポルティコには一枚岩の花崗岩から切り出した高さ12.5mの巨大な柱が16本、連なっている

パンテオンとオクルス

パンテオン内部。上がオクルス

もうひとつ、ローマ歴史地区の大のお気に入りがパンテオンだ。

まず、ファサードと円堂のシンプルで重厚な造りがたまらない。派手な装飾はないのだが、他にはない安定性と機能美を持っている。そして直径・高さともに43.2mを誇る巨大なドーム。天井のオクルス(目)と呼ばれる直径9mの開口部から陽光を取り入れており、ドーム内部は予想外に明るく保たれている。

ドームにはもちろん鉄筋や釘は使用されていない。石を積み上げてドームを築くのはたいへんな技術を必要とするうえ、本来重量を支え合うはずの天頂部に空間を空けると難易度が飛躍的に向上する。2世紀初めにこんなものが造られていたとは信じがたい。

 

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ

パンテオンを参考に築かれた、内径45mに及ぶサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ。あまりの規模から「無謀」「不可能」といわれたという

5世紀に西ローマ帝国が滅びると、パンテオンや水道橋をはじめとするローマ帝国の高度な建築技術はロスト・テクノロジー(失われた技術)となり、二度と再現できない超建築となった。パンテオンはローマの神々を祀る万神殿なのだが、ローマ時代以降の人々にとって、人間が造ったとは到底考えられないまさに神の神殿だったのである。

14~15世紀、イタリア・ルネサンスの建築家たちはこのパンテオンを奇跡の建築物と評して盛んに研究した。そのひとりがブルネレスキで、彼はその成果として1434年、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の巨大なクーポラ(ドーム)を完成させる。パンテオンと同等のドームを建設するのに、実に1300年を要したのである。

 
  • 1
  • 2
  • 3
  • 5
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます