希少価値の高いスニーカーの出現とそれを追い求める人々
80年代ヒップホップを代表するレジェンドグループに、ランDMCの存在は欠かせないですが、彼らはファッションアイコンとしても人気で、アディダスを流行らせ、86年にアディダスと160万ドルの契約を結びつけました。まだ、ヒップホップがそこまでメジャーではなかった時代に、ランDMCがどれほどのインパクトを持っていたかが示されていますね。その後も続々と他のアーティスト達がコンバースやナイキ、フィラ、リーボックなどの大手ブランドとコラボするようになります。今ではストリートの間で、スニーカーブランドとしてトップの人気を誇るナイキですが、80年代はまだ白人が履くジョギング用のスニーカーのイメージが強く、ストリートではあまりリスペクトされることがありませんでした。
そんなナイキのイメージを覆したのが、バスケの神、マイケル・ジョーダンの出現でした。マイケルが所属していたシカゴ・ブルズのユニフォームにマッチするようにエア ジョーダンの最初のモデルは赤と黒でデザインされていたのですが、靴の色に白が入ってないという理由でNBA側から履くのを禁止されるも、マイケルは履き続けたので、ナイキはマイケルがその靴を履いて試合に出場する度に5000ドルもの罰金を払うことに。
ちなみにあれはエア ジョーダンではなく、エア シップだという話もありますが、とにかくナイキはそんなマイナスイメージさえも、上手くブランディングに活用したのでした。
スーパースター、マイケルのおかげで大人気となったエア ジョーダン。ナイキはシーズンごとに新しいエア ジョーダンを出し、今までスニーカーに使われなかった高価な素材などを使うようになりました。エア ジョーダンはヒップホップやストリートで圧倒的な人気を誇りましたが、スニーカーを手に入れられなかった者からの強盗や、ひどい時は殺人に至るまでの犯罪などが起きたりと、悲惨な結果となってしまったことも。
レアなスニーカーを探しては、ストックするスニーカーコレクターも増えます。今はネットで情報を得て、何でも買える時代ですが、一昔前は情報はどこからか得て、自分の足で買い求めに行くしかなかった時代。欲しいスニーカーをゲットするためとなれば、いつでもどこへでも駆けつける彼らの戦いは、レアなものであればあるほど激しくなり、ブランド側もそこにつけこみ、ブランド同士のコラボや、ブランドとアーティストとのコラボなど、希少価値の高い商品を次々と出すようになりました。
その貴重なスニーカーをゲットするため、何日も前から店の前に行列を作って並ぶ姿は今や珍しいことではなく、そのスニーカーがebayで何倍、何十倍もの値段で取引きされることも普通のこととなりました。
(c) Sneakerheadz
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