Soul・R&B・HIP-HOP/ヒップホップの歴史

ヒップホップとは?音楽にとどまらないその歴史と変貌

日本でもポピュラーになりつつあるヒップホップ。ヒップホップは音楽だけでなく、ダンスやファッション、アートなどのスタイルであり、文化であり、生き様でもあると言えます。まだヒップホップをよく理解していないという方たちのために、誕生から現在までの流れを含め、ヒップホップとは何なのかを紐解いていきたいと思います。

Atsuko Tanaka

執筆者:Atsuko Tanaka

Soul・R&B・HIP-HOPガイド

ヒップホップの定義

最近、日本のテレビやコマーシャルでもラップを耳にすることが増えました。日本のヒップホップ界の第一人者とされるジブラさんが司会を務める人気番組『フリースタイルダンジョン』の影響もあってか、ストリートでフリースタイルのバトルをしている若者たちの姿を目にすることもあります。

そのように日本でもヒップホップはポピュラーになりつつあるのですが、まだヒップホップについてよくわかっていないという方は多いのではないのでしょうか。ラップのようにビートに合わせて早口でラップする、ただのいち音楽ジャンルとして捉えていたり、ヒップホップとラップの違いがわかっていなかったり。

ヒップホップは70年代初期に誕生し、80年代初期に世の中に広く認知され始めました。その後、その人気は勢いを増し、90年代頃から特にアメリカでは最もポピュラーな音楽として、世間や社会に大きな影響を与え続けています。

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左上から時計回りに:エミネム、ビズ・マーキー、ビッグ・ダディ・ケイン、スリック・リック (c) Atsuko Tanaka


ヒップホップを音楽としてだけ捉えている方も多いかもしれませんが、ヒップホップは音楽だけでなく、ダンスやファッション、アートなどのスタイルであり、文化であり、生き様でもあると言えます。さて、ヒップホップはいつ、どこでどのように発祥して現在に至るのでしょうか?まずは、そのルーツをさかのぼってみましょう。


ヒップホップの誕生

ヒップホップの発祥地はニューヨークのサウスブロンクス。ヒップホップが生まれた発端は、生みの親と言われているクール・ハークが当時住んでいたサウスブロンクスのマンションで、ファンクやソウルの音楽をかけてDJをしたパーティーとされています。後に彼はターンテーブルを外に持ち出して、パーティーをストリートや公園に展開。そこにはたくさんのブレイクダンサーや若者が彼のDJプレイを観に集まったそうです。

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ヒップホップの生みの親とされるクール・ハーク (c)Atsuko Tanaka


こうしてクール・ハークのようなDJと、DJがかける音楽で踊るブレイクダンサー、ラップするMC、そしてグラフィティーの要素が加わり、ヒップホップという文化が誕生しました。これらの4つの要素、「DJ」「MC」「ブレイクダンス」「グラフィティー」はヒップホップの四大要素であり、基礎となります。

関連記事:ヒップホップにおいて欠かせないDJの歴史と進化
グラフィティカルチャー、古代からNYに至る壮大な歴史



ちなみにヒップホップという言葉は、70年代に、「ズールー・ネイション」というヒップホップの文化を語るのに欠かせないヒップホップグループの元リーダー、アフリカ・バンバータによって名付けられました。

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アフリカ・バンバータ (c) Atsuko Tanaka


当時は、ニューヨークの貧困地区に住むアフリカ系アメリカ人を始めとする、マイノリティーの人達への差別が今よりもっとひどかった時代。ヒップホップが生まれたことによって、行き場のない若者達のエネルギーは、犯罪やドラッグなどネガティブなことから音楽やアートに注がれるようになり、ヒップホップの人気はサウスブロンクスにとどまらず、より広い地域へと広がっていきました。

関連記事:NYのギャング文化とヒップホップ誕生の繋がり

 

世界に広まっていったヒップホップ

80年代に入ると、パブリック・エナミーランDMCLLクールJビースティー・ボーイズなど、数多くの素晴らしいアーティスト達が、アメリカという国を超えて世界で活躍するようになります。また、ヨーロッパ諸国や日本に伝わったヒップホップに影響を受けたアーティストたちが、各国で独自のシーンを築いていきました。

Public Enemy - Don't Believe The Hype


RUN-DMC - It's Tricky

 

 ヒップホップの黄金期と呼ばれた90年代

90年代に入ると、アメリカではヒップホップが最も売れる音楽ジャンルになったりと、勢力を増してメインストリームへと伸し上がっていきます。ヒップホップは80年代半ば頃までNYを始め、東海岸を中心に展開していましたが、それ以降、西海岸や南部、中西部などからも各地方の個性を活かした独自のスタイルで、多くのアーティスト達がその才能を表すように。

例えば、西海岸ではアイスTN.W.A.などに代表される「ギャングスタ・ラップ」が注目を集め、ギャングや人種差別、警察による残忍な虐待などをラップしたハードな内容は大きな社会問題をも引き起こしました。

N.W.A. - Straight Outta Compton


二人のビッグアーティストの命を亡くした東西間の抗争

やがてヒップホップは巨大な音楽ビジネスと化し、名声や大金を得たアーティスト同士の間で妬み、恨みが生じるように。特に東海岸と西海岸出身のアーティストたち、当時のヒップホップを代表するビッグアーティストであったNY出身のノトーリアス・B.I.G.とL.A出身の2パックを取り巻く間で抗争が激化します。緊張感が高まる中、90年代半ばにとうとう二人は何者かに銃に撃たれ、命をなくすという悲しい結末に。この事件はヒップホップや音楽界だけでなく、大きな社会問題としてニュースに取り上げられました。

将来に夢を持てなかった多くの若者たちに夢を与え、ポジティブな文化として生まれ育ったはずのヒップホップにこのような惨事が起こり、多くの人たちが深いショックに陥りました。二人の尊い命を亡くしたことから、それまで争っていた東と西のアーティストたちは手を取り合い、平和のために前進することを誓いました。

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ノートリアスB.I.Gが亡くなった後、トリビュート曲として作られた「We’ll Always Love Big Poppa」のMV撮影時の様子。多くのアーティストや人々が駆けつけた (c) Atsuko Tanaka



ビジネスマンとしての才能も開花したアーティストたち

90年代後半以降の活躍が目覚ましかったアーティストに、ウータン・クランジェイ・Zリル・ウェインエミネムなどがいます。彼らが出すアルバムはミリオンセールを記録するなど、ヒップホップ界をネクストレベルのものに伸し上げました。中でもエミネムは、アルバム、シングルのセールスが計1億7200万枚という、世界で最も売れたミュージシャンのうちの一人でもあるという脅威の存在。


JAY-Z - Big Pimpin' ft. UGK


Eminem - My Name Is


ヒップホップアーティストがメジャーで活躍するのが当たり前でなくなると、自身が音楽アーティストとして活躍するだけではなく、プロデューサーとして、また全く違う分野でビジネスマンとしての才能を発揮するアーティストも珍しくなくなりました。

中でもその活躍ぶりが特に際立つのは、デディジェイ・Zドクター・ドレーの3人。彼らはファッションや香水、お酒、スポーツ、エンターテイメント、テクノロジーやベンチャーキャピタルなどの様々な分野に携わり、その成功ぶりはフォーブスの長者番付に名を連ねるほどです。ちなみに2017年のヒップホップ長者番付では、デディが相変わらずの1位をキープし、その総資産額は驚きの8億2000万ドル(約936億円)。

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Diddy
https://www.instagram.com/p/BU54zqbDNsQ/?taken-by=diddy


 

デジタル、SNS世代のヒップホップ

時代はデジタルに移行する中、音楽制作やプロモーションの仕方、音楽の流通形態は大きく変化していきます。その変化に沿って、メジャーデビューをしなくとも、ネットやSNSなどを利用して自分たちの力で有名になるアーティストたちも出てきました。2000年代を代表するアーティストに、50セントT.I.カニエ・ウエストなど、2010年代ではドレイクケンドリック・ラマーエイサップ・ロッキーなどの名が挙げられ、ここ数年ではトラヴィス・スコットチャンス・ザ・ラッパーヤング・サグらが人気を博しています。他にも続々と新しいアーティストたちが出てきていますが、近年のヒップホップはメロディーに合わせてスローなテンポでラップしたり、歌うスタイルが増えています。


Kendrick Lamar - HUMBLE.


Travis Scott - goosebumps ft. Kendrick Lamar


Chance the Rapper - Same Drugs


ファッションにおいては、90年代まではエクストララージサイズの洋服にゴールドやプラチナムなどの高価なドでかいジュエリーをつけた派手なスタイルが主流でしたが、2000年代半ば頃からは細身でシンプルなスタイルへと変化していきます。ハイブランドのアイテムをスタイリングに取り入れ、シックに着こなすアーティストも出現し、ストリートファッションのトレンドも変わっていきました。ゴールドやプラチナなどでできた歯につける「グリル」も2000年代半ばから、特にアメリカの南部で人気が高まり、人気なアイテムの一つとなっています。ヒップホップファッションにおいて、タトゥーは欠かせない要素ですが、スニーカーの重要さとその人気ぶりも相変わらずのようですね。


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ディオール・オムの広告塔にもなったエイサップ・ロッキー
https://www.instagram.com/p/BPO0zmQDg7m/?taken-by=asaprocky


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リル・ヨッティの歯に、キラキラと輝くグリル
https://www.instagram.com/p/BTFvXKljCxt/?taken-by=lilyachty


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タトゥーだらけのウィズ・カリファ
https://www.instagram.com/p/BTQ_ogPFhfb/?taken-by=wizkhalifa


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人気のエア・ジョーダン

https://www.instagram.com/p/BVaxVQbgf1Y/?taken-by=liluzivert

 


関連記事:ヒップホップファッションの流行の移り変わり
ヒップホップカルチャーがスニーカーに執心するワケ


このようにして、70年代にニューヨークのサウスブロンクスで生まれたヒップホップは、約40年間の時と共に変化を遂げ、影響力を増しながら成長し続けています。ネットの発達に伴って、新しいアーティストが出現するスピードは早まるばかりですが、息の根の長いアーティストとして末長く生き残るのは誰なのか、また、今後ヒップホップはどのように変化していくのか、楽しみながら見守っていきたいと思います。

最後に、90年代ヒップホップを代表するグループ、モブ・ディープのプロディジーが持病の鎌形赤血球貧血症による合併症を引き起こし、2017年6月20日に亡くなりました。また一人、ヒップホップレジェンドがこの世から去り、とても哀しいですが、ご冥福をお祈りします。R.I.P. to Prodigy.

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Mobb Deep (c)Atsuko Tanaka 



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