2000年代に活躍したヒップホッププロデューサーたち

70年代にヒップホップが誕生してから、10年ごとにその時代の音を作ってきたプロデューサーたちをご紹介しました。今回はヒップホップがメジャーとなり、さらにポップ感を増した2000年代に活躍したプロデューサー6名をピックアップ。彼らが作ったヒット曲と共にその功績を振り返ってみたいと思います。

ヒップホッププロデューサーundefined2000年代ヒップホップundefinedスウィズビーツundefinedネプチューンズundefinedJディラundefinedマニーフレッシュジャストブレイズundefinedマーリーマールundefinedピートロックundefined

(C) Atsuko Tanaka 左から時計回りに マーリー・マール、ピート・ロック、RZA、ジャスト・ブレイズ、スウィズ・ビーツ


飛び跳ねるようなビートが特徴的なザ・ネプチューンズ

ファレル・ウィリアムスチャド・ヒューゴのデュオから成るザ・ネプチューンズ。二人は90年に4人組R&Bグループを結成し、当時活躍していたアーティスト兼プロデューサーのテディー・ライリーに発掘されます。その後、ライリーの元で学び、プロデューサーとして活躍するようになり、ブラック・ストリートやSWV、トータルなどのR&Bグループから、ヒップホップではジェイ・Zメイス、ブランド・ヌービアンらの曲を手がけました。

90年代後半からヒット曲を出すようになり、ノリエガの「Superthug」(98年)、オール・ダーティー・バスタードの「Got Your Money」(99年)、ジェイ・Z「I Just Wanna Love U (Give It 2 Me)」(2000年)、リュダクリスの「Southern Hospitality」(2000年)、ミスティカルの「Shake Ya Ass」(2000年)、バスタ・ライムスの「Pass the Courvoisier, Part II」(2000年)などが大ヒット。勢いの良い飛び跳ねるようなビートが特徴的で、ファレルはプロデュースした曲でコーラスを歌ったり、ミュージックビデオにも自ら出演したりして、その頃のヒップホップ界では新しいストリート感のルックスも人気を博しました。


JAY-Z - I Just Wanna Love U (Give It 2 Me)

2001年代も引き続き、ヒップホップ以外も、数え切れないくらいのR&B界やポップ界の様々なアーティスト曲も手がけて大活躍。ネリーの「Hot in Herre」(2002年)は第45回グラミー賞(2003年)の Best Male Rap Solo Performanceを受賞。他にもザ・クリプスの「Grindin’」(2002年)、ジェイ・Zの「Excuse Me Miss」(2003年)、スヌープ・ドッグの「Beautiful」(2003年)、ネリーの「Flap Your Wings」(2004年)、クリプスの「Wamp Wamp」(2006年)などがあります。リュダクリスの「Money Maker」(2006年)は、第49 回グラミー賞でベストラップソングを受賞しました。


Ludacris - Money Maker ft. Pharrell

ネプチューンズ以外の活動としては、シェイ・ヘイリーというアーティストと一緒に「N*E*R*D 」という名前のファンクロックバンドとして、2001年にファーストアルバム「In Search Of…」を出し、現在まで通算5枚のアルバムを、また、ソロとして、ファレルは「In My Mind」(2006年)、「Girl」(2014年)をセルフプロデュースしました。シングル曲「Happy」(2013年)のミュージックビデオは世界初の24時間ビデオとして話題をさらい、日本でもオマージュ版が作られたのも印象的でした。


アートやビジネスでもマルチの才能を発揮するスウィズ

ブロンクス出身のスウィズ・ビーツは10代の頃からDJをするようになり、彼の叔父、叔母たちが立ち上げたレーベル「ラフ・ライダーズ・エンターテインメント」の元、プロデューサーとして活躍するようになりました。彼が初めて手がけた曲、DMXの「Ruff Ryders' Anthem」(98年)は大ヒットを遂げ、スウィズはその後もノリエガの「Banned from T.V.」(98年)や、ジェイ・Zの「Money, Cash, Hoes」(98年)、「Jigga My Nigga」(99年)、イヴの「Gotta Man」(99年)など、次々とヒット曲を生み出し、売れっ子プロデューサーの仲間入りを果たしました。


DMX - Ruff Ryders' Anthem

2000年に入っても勢いを落とすことなく、DMXの「Party Up (Up in Here)」(2000年)、スタイルズ・Pの「Good Times」(2002年)、T.I.の「Bring Em Out」(2004年)、キャシディーの「I'm A Hustla」(2005年)、バスタ・ライムスの「Touch It」(2006年)など、イケイケで当時のNYのフラッシーさを表した曲は、ラジオやクラブなどでヘヴィロテプレイとなります。


T.I. - Bring Em Out

また、2007年には、ノッツネオ・ダ・マトリックスら、他のプロデューサーも迎え入れ、自身のデビューアルバム「One Man Band Man」をリリース。中でもセルフプロデュースのシングル「It's Me Bitches」は大ヒットとなりました。

その後も音楽にとどまらず、ファッション界やアート界でも才能を発揮し続けているスウィズですが、3年かけてハーバード・ビジネス・スクールのオーナー/プレジデント・マネージメント・プログラムを無事に終え、先月卒業。背中に黄色の文字で「From The Bronx to Harvard」と書かれたスーツを着て、卒業式に出席した姿が印象的でした。ブロンクス出身のストリートで育った彼が、夢を実現することの大切さを身をもって示したことは、多くの人々に勇気とインスピレーションを与えたことでしょう。


南部ヒップホップサウンドはマニー・フレッシュにお任せ

ニューオリンズ出身のマニー・フレッシュは、DJだった父の影響を受けて、自身も10代半ばからDJとして活躍するようになりました。やがてプロデュース業もするようになった頃、 その後の相棒となるバードマン(当時のベイビー)に出会い、90年代半ばから彼のレーベル「キャッシュ・マネー・レコード」のプロデューサーとして活動するように。ホット・ボーイズの「I Need a Hot Girl」(99年)、ジュヴィナイルの「Back That Azz Up」(99年)、B.G.の「Bling Bling」(99年)、リル・ウェインの「The Block Is Hot」(99年)や「Go D.J.」(2004年)など、アメリカ南部をベースにしたキャッシュ・マネーのアーティストたちのヒット曲を次々と出しました。


Lil Wayne - Go DJ

自身もラッパーとして、バードマンとビッグ・タイマーズというユニットを組み、デビュー。98年にファーストアルバム「How Ya Luv That?」を皮切りに、2003年に解散するまで、通算5枚のアルバムをリリースし、「#1 Stunna」(2000年)や「Still Fly」(2002年)などのヒット曲を手がけました。


Big Tymers - Still Fly

解散後、彼はデフジャムサウスと契約して、T.I.の「Top Back」(2006年)、「Big Shit Poppin’(Do It)」などをプロデュース。また、ソロとしても自身のプロデュースで「The Mind of Mannie Fresh」(2004年)、「Return of the Ballin'」(2009年)と、2枚のアルバムを出しています。


21のグラミー受賞の記録を持つカニエ・ウエスト

小さい頃からアートや音楽に興味を持ったカニエ・ウエストは、小学生でラップや曲作りを始めます。高校生の時に出会った、カニエと同じくシカゴ出身のプロデューサー、No I.D.から多くを学び、プロデュース力に磨きをかけました。90年代半ばから他のアーティストたちへ楽曲を提供し、2000年代初期に頭角を現し始めます。ジェイ・Zの「Izzo (H.O.V.A.)」(2001年)や、「'03 Bonnie & Clyde」(2002年)を始め、ビーニー・シーゲルキャムロンなどロッカフェラ・レコードのアーティストの曲を手がけ、リュダクリスの「Stand Up」(2003年)、R&Bではアリシア・キーズジョン・レジェンドジャネット・ジャクソンなど、数多くのアーティストたちのヒット曲を生み出しました。


Ludacris - Stand Up ft. Shawnna

プロデューサーとして活躍するも、本当はラッパーとして活躍したかったカニエ。色々なレーベルに売り込むも、当時のラッパーのハードコアなイメージとは離れた外見では売れないと幾度も断られます。なかなか機会に恵まれずでしたが、ロッカフェラ・レコードのCEOであったデーモン・ダッシュが渋々納得し、契約が成立。その後、カニエは死に直面しかけるほどの車の大事故に遭うのですが、幸か不幸か、その経験ついてラップした曲「Through the Wire」(2002年)が大ヒットを遂げました。

そして、自身がプロデュースを務めたファーストアルバム「The College Dropout」(2004年)から、「Slow Jamz」や「All Falls Out」、「Jesus Walks」などのシングル曲がヒットし、同アルバムが第47回グラミー賞(2005年)で、ベストラップアルバムを受賞しました。(ほか、「Jesus Walks」が、ベストラップソングを受賞、カニエがプロデュースしたアリシア・キーズの「You Don’t Know My Name」もベストR&Bソングを受賞)。


Kanye West - Jesus Walks

また、その翌年に出したセカンドアルバム「Late Registration」は3100万枚以上ものセールスを記録し、2年連続で第48回グラミー賞でベストラップアルバムを受賞。シングル曲の「Diamonds From Sierra Leone」はベストラップソングを、「Gold Digger」はベストラップソロパフォーマンスを受賞という、快挙を成し遂げました(共に他プロデューサーとの共同プロデュース)。

ほか、ファボラスやT.I.、ザ・ゲームタリブ・クウェリ等、ビッグアーティストたちの曲もプロデュースしながら、自身のアルバム「Graduation」(2007年)、「808s & Heartbreak」(2008年)、「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」(2010年)等、定期的に出し続け、多くのヒット曲を生み出しています。現在まで、21ものグラミー賞を受賞し、歴代の最多受賞者の11番目を記録を持つスーパープロデューサーの一人です。音楽業界だけでなく、ファッションやビジネスにおいても才能を発揮するカニエ。世間を騒がすのが好きな、何かと話題の彼ですが、今後の動きも要注目!


没後10年後も語り継がれるJ・ディラのレガシー

オペラ歌手の母とジャズのベーシストの父の元で育ったJ・ディラは、幼少の頃から音楽の才能を開花していました。95年にファット・キャットとヒップホップデュオを組み、ファースト・ダウンとして活動。その後、高校時代の友人たちとスラム・ヴィレッジを結成して、97年にファーストアルバム「Fan-Tas-Tic (Vol. 1)」を出します。

90年代半ばからファーサイドの「Runnin'」や「Drop」(95年)、ア・トライブ・コールド・クエストの「Stressed Out」(96年)、デ・ラ・ソウルの「Stakes Is High」(96年)、Qティップの「Breath And Stop」(98年)などのヒット曲を手がけていたJ・ディラ。2000年に入ってからも、コモンの「The Light」(2000年)を始め、ザ・ルーツやバスタ・ライムス、タリブ・クウェリといったアーティストたちの曲をプロデュースし、ヒップホップ界に多大な影響を与える存在となりました。また、ソロアーティストとしてもアルバム「Welcome 2 Detroit」を2001年にリリースし、スラム・ヴィレッジを脱退。翌年にはマッドリブとタッグを組んでジェイリブとしても活動するようになり、2003年にアルバム「Champion Sound」を出します。


The Pharcyde – Drop

Common - The Light

ですが、その頃から、血栓性血小板減少性紫斑病による症状が重くなり、彼の最後のアルバム「Donuts」を出した3日後の2006年2月10日にこの世を去りました。亡くなった後も、彼が手がけた曲で生前にリリースされなかったものが、多くのレーベルやアーティストの手によってリリースされ、彼が残したレガシーは今でも語り継がれています。


 2000年代ロッカフェラを代表する名曲を多々手がけたブレイズ

ニュージャージー出身のジャスト・ブレイズは、小さい頃から音楽好きで、プロデュース業に興味を持ち、音楽の道に進むために大学を中退。90年代後半からプロデューサーとして活躍し始めます。そしてカニエ・ウエストと同じく、ロッカフェラ・レコードのプロデューサーとして、ジェイ・Zやキャムロン始めとするアーティストたちの曲を多く手がけました。

代表曲にジェイ・Zの「Girls, Girls, Girls」(2001年)、「Hovi Baby」(2002年)「Shoe Me What You Got」(2006年)や、ビーニー・シーゲル&フリーウェイの「Roc The Mic」(2002年)、キャムロンの「Oh Boy」(2002年)、ジョー・バドゥンの「Pump It Up」(2003年)、カニエ・ウエストの「Touch The Sky」(2005年)、T.I.の「Live Your Life」(2008年)などがあります。


Cam'Ron - Oh Boy ft. Juelz Santana


T.I. - Live Your Life ft. Rihanna


70年代から2000年代と時代を10年ごとに区切って、その時代に活躍したプロデューサーとともに名曲を聴いてきましたが、それぞれの時代で人々に好まれる音が変わったことがわかると思います。同じ2000年代でも、10年代に入ってからサウンドがだいぶ変わり、進化し続けています。今後はどんなアーティストが生まれ、どんなプロデューサーが活躍していくのか。楽しみに見守りたいと思います。

【関連記事】
70、80年代ヒップホップを築いた名プロデューサーたち
90年代洋楽HIPHOPの名曲!プロデューサーごとに聴く




※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。