HIPHOP黄金期の名曲を生み出したプロデューサーたち

生まれ故郷のNYを超え、世界中の多くの人々を魅了したヒップホップ。90年代に入ると、メジャーシーンで活躍するアーティストたちの姿がより目立つようになりました。今回は「ヒップホップの黄金期」と呼ばれた90年代に、数々の名曲を生み出したプロデューサーたち6名をご紹介したいと思います。
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(c) Atsuko Tanaka 左から時計回りに:ピート・ロック、ワイクリフ、デディ、EPMD、レザ
 

最優秀プロデューサー含め6つのグラミー賞を獲得したドレー

カリフォルニア州コンプトン育ちのドクター・ドレーは、80年代半ばからDJとして活躍するようになり、86年にイージー・Eやアイス・キューブらと共にN.W.Aを結成しました。N.W.Aはギャングやドラッグ、警察による虐待など当時のストリートが直面していたリアルな問題をラップし、世間に多大な影響を与えたグループ。また、「ギャングスタ・ラップ」というジャンルを築いたことでも知られています。

ドレーは、メンバーのDJ Yellaとデビューアルバム「Straight Outta Compton」(88年)をプロデュース。「Straight Outta Compton」や「Express Yourself」などが大ヒットとなりました。


N.W.A. - Straight Outta Compton

ヒット曲を出すも、方向性の違いなどからドレーはグループを離れ、シュグ・ナイトらと共に「デス・ロウ・レコーズ」を立ち上げました。自身の曲では「Nuthin' But a 'G' Thang」(92年)、「Let Me Ride」(93年)など、また、スヌープ・ドギー・ドッグ(現スヌープ・ドッグ)の「Who Am I? (What's My Name?)」(93年)や「Gin and Juice」(94年)、2パックとのコラボ曲「California Love」(95年)など、他のアーティストの曲も数多く手がけ、「G-Funk」サウンドの火付け役として確固たる地位を築きました。


Snoop Dogg - Who Am I (What's My Name)?

しかし、シュグ・ナイトが人間関係や金銭面で様々な問題を引き起こしていたため、ドレーはシュグの元を離れ、96年に自身のレーベル「アフター・マス」をスタート。そのレーベルと契約したエミネムが一躍スターに。ドレがプロデュースした「My Name Is」(99年)は大ヒットし、エミネムはこの曲で第42回グラミー賞(2000年)の最優秀ラップ・ソロ・パフォーマンスを獲得しました。


Eminem - My Name Is

その後も、ドレーは「Still D.R.E.」(99年)など自身の曲もセルフプロデュースし、アーティストとしての活動も続けながら、他アーティストの名曲をたくさん手がけてきました。これまでに、最優秀プロデューサー賞(2001年)含め、6つのグラミー賞を獲得。現在もなおヒップホップ界の重鎮として一目を置かれる存在です。

こちらの記事で、ドクター・ドレーについてさらに詳しく紹介しています。
ヒップホップ界の重鎮、ドクター・ドレー


ジャズやソウル等をサンプリングし、名曲を構築したプレミア

テキサス出身のDJ プレミアも、ドレー同様、ヒップホップ界において最も重要なプロデューサーのうちのひとり。ジャズやファンク、ソウルに造詣が深いプレミアが作るトラックは、太いビートに自身のDJによるスクラッチ、様々な名曲のサンプリングが合わさった、音楽愛がひしひしと伝わってくるものばかりです。

プレミアの音楽キャリアは、彼が送ったデモテープをのちの相棒となるグールーがたまたま手に取ったことがきっかけで、切り拓かれました。すぐさま二人はギャング・スターというユニットとして活動するように。89年にファーストアルバム「No More Mr. Nice Guy」を出し、そのうちの「Manifest」のMVをスパイク・リー監督が観たことにより、デンゼル・ワシントン主演の映画「Mo’ Better Blues」(90年)のサウンドトラックに「Jazz Thing」が加わることとなりました。

その後もギャング・スターとしては、「Step In The Arena」(90年)、「Daily Operation」(92年)、「Hard To Earn」(94年)など、プレミアとグールーの共同プロデュースでアルバムを次々にリリース。中でも「Who's Gonna Take the Weight?」(90年)、「Take It Personal」(92年)、「DWYCK」、「Mass Appeal」(94年)、などは、ギャング・スターを代表する名曲です。


Gang Starr - Mass Appeal

プレミアプロデュースによる他アーティストたちの名曲もたくさんあります。ジェルー・ザ・ダマジャの「Come Clean」(93年)、ナズの「Represent」、「N.Y. State of Mind」(94年)ザ・ノトーリアス・B.I.G.の「Unbelievable」 (94年)、ダス・エフェックスの「Real Hip Hop」(95年)、KRS・ワンの「MC's Act Like They Don't Know」(95年)など、ヒップホップの歴史に残るクラシックばかり。その後も勢いを落とすことなく、今でも大御所から若手アーティストまで幅広く手がけています。


Nas - N.Y. State of Mind (Live at #VEVOSXSW 2012)


KRS-One - MC's Act Like They Don't Know


ウータン・クランの鬼才マスター、レザ

90年代ヒップホップを代表する、NYはスタテン島出身のグループ、ウータン・クラン。その名前は香港のマーシャルアーツ映画「Shaolin and Wu Tang」からきています。彼らがどれだけマーシャルアーツに影響を受けているかが想像できるでしょう。レザはウータン・クランのリーダーで、ウータンが出したほとんどの曲は彼がプロデュースを担当。ウータンのファーストアルバム「Enter the Wu-Tang (36 Chambers) 」(93年)は、ヒップホップ史に語り継がれる名盤中の名盤と言えます。中でも「C.R.E.A.M.」や、「Method Man」、「Can It Be All So Simple」などが大ヒットしました。


Wu-Tang Clan - C.R.E.A.M.

のちにウータンのメンバーはそれぞれソロとしても活躍しましたが、彼らの曲のほとんどもレザがプロデュース。メソッド・マンの「Bring The Pain」(94年)や「I'll Be There For You / You're All I Need To Get By」(95年)、ジザの「I Gotcha Back」(95年)、オール・ダーティー・バスタードの「Shimmy Shimmy Ya」(95年)、ゴーストフェイス・キラの「Daytona 500」(96年)など、キャラが濃いメンバーのテイストを、レザの巧みな感性とスキルでうまく料理し、独特な世界観に作り上げていました。


Method Man - All I Need (Razor Sharp Remix) ft. Mary J. Blige


Ol' Dirty Bastard - Shimmy Shimmy Ya

また、レザはグレイヴゥディガズというグループとしても活動したり、ジム・ジャームッシュ監督の「Coffee and Cigarettes」(93年)や「Ghost Dog: The Way of the Samurai」(99年)、クエンティン・タランティーノ監督の「Kill Bill Vol.1」(2003年)などのサウンドトラックも担当。中には俳優として自身が出演している作品もあります。レザの音楽愛、そしてワーカホリックぶりが伺えますね。


ジャズやソウルへの愛が音から溢れ出すピート・ロック

NYはブロンクス出身のピート・ロック。いとこのヘヴィ・Dがピートをマーリー・マールに紹介し、そのスキルが見初められたことからWBLSラジオの「In Control」という番組でDJとして活躍するようになりました。

のちに、同じ高校に通っていたCL・スムースとデュオを組んで、91年にピート・ロック&CL・スムースとしてメジャーデビュー。ファーストアルバム「Mecca and The Soul Brother」(92年)のリードシングル「They Reminisce Over You (T.R.O.Y.)」は、亡くなった親友(Heavy D & the BoyzのダンサーであったTrouble T Roy) に捧げて作られた曲で、90年代ヒップホップクラシックのひとつ。今でもクラブなどでこの曲がプレイされるときは、イントロのサックスの音が聴こえるや否や、大いに盛り上がります。他にも「Straighten It Out」(92年)や「Lots of Lovin’」(93年)、「I got a Love」(94年)など、人々の心に残る曲がたくさんあります。

ピート・ロックもプレミアのように、ジャズやファンク、ソウルのサンプルを用いたトラックを作ることで知られていますが、他アーティストではヘヴィ・D ・アンド・ザ・ボーイズの「Don’t Curse」(92年)、ラン・DMC の「Down with the King」(93年)、ナズの「The World Is Yours」(94年)などの名曲をいくつもプロデュースしました。今もなお、根強いピートのファンは多く、人気プロデューサーとして活躍を続けています。


RUN-DMC - Down With The King


Nas - The World Is Yours


きらびやかな世界観の演出が得意なデディ

90年代半ばに起きたヒップホップの東西抗争の中心に位置し、何者かに射撃され惜しくも命を落としたザ・ノトーリアス・B.I.G.(通称ビギー)。亡くなってから20年経った今でもビギーの音楽や存在感は皆の心に深く残っていますが、そのビギーを発掘し、スターに育て上げたのはNY出身のデディ(当時の芸名はパフ・ダディ)でした。

彼はアップタウン・レコーズでインターンを経験したのちに、93年に自身のレーベル「バッド・ボーイ・エンターテイメント」を設立。ビギーやクレイグ・マック、メイスザ・ロックスなどのアーティストたちを次々とプロデュースし、それまでアンダーグラウンドなイメージだったヒップホップを覆すかのように、派手な衣装に美女とシャンパン、ジェット機や大きなボートなどを用いてイケイケな世界観を放ちました。

ビギーのファーストアルバム「レディー・トゥ・ダイ」(94年)は、マストで押さえるべきヒップホップの名盤ですが、そのアルバムのファーストシングル「Juicy」のプロデュースは、デディとザ・トラックマスターズのポーク.....とクレジットされていますが、実はピート・ロックが手がけたものだそう。気を取り直して、デディとチャッキー・トンプソン共同プロデュースによる「Big Poppa」で、ビギーは第38回グラミー賞(96年)で最優秀ラップ・ソロ・パフォーマンスを獲得しました。「One More Chance」も当時のビギーの妻、フェイス・エヴァンスをフィーチャリングさせ、女性も口ずさみやすいメロディーが大ヒットしました。


The Notorious B.I.G. - Big Poppa


The Notorious B.I.G. - One More Chance/Stay With Me (Remix)

デディのようにきらびやかなスタイルを誇示し、当時の変わりゆくヒップホップの姿に嘆く人々も多かったですが、デディ本人は前進あるのみ。R&Bではメアリー・J・ブライジTLC、トータルなどをプロデュースしつつ、自身もラッパーとしてデビューし、「Can't Nobody Hold Me Down」、「Victory」(97年)、そしてビギーへの追悼曲「I’ll Be Missing You」などをプロデュース(他プロデューサーとの共同プロデュースによる)。メイスとのタッグもヒットしました。

その後もLL・クール・Jマライア・キャリーなどの大物アーティストの曲も手がけたり、自身のアーティスト活動も続けているようですが、今はどちらかというとビジネスマンとしての活躍が目立ちます。今後はいかに。


Puff Daddy - "I'll Be Missing You" (Feat. Faith Evans & 112)


チキチキビートに独自のスタイルを重ねたティンバランド

学生の頃からDJとして、また、ラッパーのマグーと一緒にユニットとして活躍していたティンバランド。出身地のヴァージニア州にある同じ高校に通っていたミッシー・エリオットは彼の才能を見初め、当時彼女がプロデュースしていたR&Bのグループのプロデューサーにティンバランドを抜擢。さらには80年代後半から活躍していたR&Bブループ、ジョデシィのメンバーであるデヴァンテに引き合わせ、ティンバランドは、702やジェニワインアリーヤなど、90年代を代表するアーティストたちのヒット曲を手がける人気プロデューサーとなりました。

ヒップホップにおいては、ミッシーのデビューアルバム「Supa Dupa Fly」(97年)が大ヒット。今までにないオリジナルなスタイルで、ヒップホップ界に新たな風を吹き込みました。セカンドアルバム「Da Real World」(99年)、サードアルバム「Miss E… So Addictive」も全てティンバランドがプロデュースを担当。派手なMVの演出と共に「All N My Grill」、 「Hot Boyz」(99年)、「Get Ur Freak On」(2001年)などが大ヒットしました。本人もMVに出演することが多く、リズムに合ったコミカルな表情や動きをするのが特徴的でした。


Missy Elliott - The Rain [Supa Dupa Fly]


Missy Elliott - Get Ur Freak On

また、ティンバランド&マグーとして97年にアルバム「Welcome to Our World」を出し、自身のソロアルバム「Tim's Bio: Life from da Bassment」(98年)もリリースしました。

その後も、ジェイ・Zの「Big Pimpin’ feat. UGK」(99年)や「Dirt off Your Shoulder」(2003年)など、当時、クラブやラジオでヘビロテプレイされていた曲をいくつも手がけました。R&B界でも、デスティニーズ・チャイルドジャスティン・ティンバーレイクブランディビョークマドンナなどといった大物アーティストたちの曲をプロデュース。その勢力は衰えることなく、現在もさらなる活躍を続けています。


JAY-Z - Big Pimpin' ft. UGK


今回紹介したプロデューサーたちは皆、今でも活躍を続けているパイオニアばかりですが、70、80年代の頃に比べると、ヒップホップの発祥地のNYだけではなく、いろんな地域でそれぞれの音が確立されていったのがわかるかと思います。彼らの他にもラージ・プロフェッサーバックワイルドダ・ビートマイナーズオーガナイズド・ノイズワイクリフなど、たくさんのプロデューサーが名曲を残しました。また、スウィズ・ビーツマニー・フレッシュなど90年代後半からの活躍が目覚しかったプロデューサーたちは次回ご紹介したいと思いますので、お楽しみに!




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