Soul・R&B・HIP-HOP/ヒップホップとカルチャー

ヒップホップのグラフィティカルチャー、古代からNYへの壮大な歴史

ラップとDJ、ブレイクダンスとグラフィティの異なる四つの要素から成るヒップホップという文化。アートのイメージからNY発祥と思われる方もいるでしょうが、グラフィティは古代から存在していたのです。グラフィティカルチャーを深く掘り下げてみましょう。

Atsuko Tanaka

執筆者:Atsuko Tanaka

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<目次>

ヒップホップの四大要素の一つ、グラフィティカルチャーの起源は?

ヒップホップラップDJブレイクダンスグラフィティの異なる四つの要素が交わって一つの文化となっています。今回はヒップホップの四大要素の一つであるグラフィティについて書いてみようと思います。
 
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(C) TATS CRU
https://www.facebook.com/106080289425238/photos/pb.106080289425238.-2207520000.1457531770./805063972860196/?type=3&theater

グラフィティと聞くと、壁にスプレーペイントされた名前や画などの落書きやアートのイメージから、発祥の地はニューヨークとい思う方が多いかもしれません。しかし、その歴史を辿っていくと、現代のグラフィティと呼ばれるものがじつは古代から存在していたことが分かります。

まず、グラフィティという言葉ですが、語源はイタリア語の「graffio」からきていて、“引っかくこと”や“引っかれたもの”などの意味を持ちます。さらに遡るとギリシャ語の「graphein」(=書く、描く、引っかく)になり、古代におけるグラフィティとは尖ったものやチョーク、石炭などを使って壁を引っかいて描いたものを意味したそうです。

初期のモダングラフィティにあたるものの一つが、現在のトルコ西部にある世界遺産のエフェソス遺跡に残っています。それはなんと売春宿の宣伝だそう。エフェソス遺跡に行ったことのある方は見たことがあるかもしれませんが、足跡やハート、十字架や女性の頭、お札などの画が刻まれていて、「左に曲がって道を渡れば女の愛が買える」といった、“売春宿が近くにある”という意味があるなんて、知って驚きです。
 
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出典:『EPHESUS』

古代のグラフィティには現代のように社会的、政治的な理想を掲げたメッセージより、愛の告白や思想などを言葉にしたものが多かったようです。また、ギリシャ、ローマだけでなく、エジプトやスリランカ、マヤ文明が発達したグァテマラなどの地域にもグラフィティの形跡が残っており、それらは古代の文化の生活様式や言語を知る上で大きく役立っています。

アメリカでは1920年頃から、鉄道などに帽子を被ってたばこを吸っている人の画と「Bozo Texino」という名前が描かれたグラフィティが存在しています。ボーゾはテキサスに住む鉄道職員でエンジニアだったそうですが、正体ははっきりしていません。ビル・ダニエル監督による、ボーゾの正体を追ったドキュメンタリー映画「Who is Bozo Texino?」があるので、気になる人は是非探してチェックしてみて下さい。
 
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出典:『Who Is Bozo Texino? — Bill Daniel』
http://www.billdaniel.net/who-is-bozo-texino/

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出典:『Who Is Bozo Texino? — Bill Daniel』
http://www.billdaniel.net/who-is-bozo-texino/

また、第2次世界大戦中と終戦後の1940年辺りは、坊主頭と長い鼻の男が壁越しにこちらを見ている画に「Kilroy was here」(=キルロイはここにいた)と描かれたものが流行り、トラックやタンク、船やトイレなどあらゆるところで見られたそうです。勇気やプライド、激励を意味して軍人達を勇気づけたシンボルとされています。
 
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戦車に描かれた「Kilroy was here」
出典:『WWII 's - Kilroy Was Here Unknown stories and forgotten places』
http://www.kilroywashere.org/01-Images/Pappas-s/ALLIGATOR%2015.JPG

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ウィスコン州にある第2次世界大戦で戦った軍人たちへのメモリアル
出典:『WWII 's - Kilroy Was Here Unknown stories and forgotten places』
http://www.kilroywashere.org/01-Images/Kathy/KilroyWasHereMarker.jpg

 

ニューヨークを中心に展開していったモダングラフィティの歴史

1960年代に入ると、55年に亡くなったジャズ界のサックスフォニストの巨匠、チャーリー・パーカへ追悼の意を込めて、「Bird Lives」(「Bird」はチャーリー・パーカーのあだ名)のグラフィティがペンシルベニア州はフィラデルフィアの街中で見られるようになりました。そして、初期のグラフィティライターとして知られる通称Cornbreadと彼の仲間たちは、壁に“タギング”(=スプレーペイントなどを使って自分の名前を描く)をするようになったのです。

70年初頭、グラフィティムーブメントの中心はフィラデルフィアからニューヨークに移り、なかでもマンハッタンの155丁目から上のワシントンハイツと呼ばれる地区やブロンクスをメインに盛りあがりました。TAKI 183Tracy 168Stay High 149DondiPhase 2など、数多くのライター達が名声を得るためにこぞって地下鉄の電車などに自分の名前を“ボム” して(=描いて)競い合い、それがブルックリンやクイーンズ、ダウンタウンなど他の地域に広がり、色んなスタイルや新しいアイデアが生まれたのです。
 
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(C) TAKI 183
https://www.facebook.com/107517939266732/photos/pb.107517939266732.-2207520000.1457345440./107519519266574/?type=3&theater

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(C) Tracy 168
https://www.facebook.com/45750246395/photos/pb.45750246395.-2207520000.1457422513./10150468983896396/?type=3&theater

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(C) Stay High 149
https://www.facebook.com/exvandals/photos/pb.167857783344564.-2207520000.1457531073./290680631062278/?type=3&theater

こうしたグラフィティで溢れかえったニューヨークの電車を、写真や映像などで見たことがある方も多いでしょう。市や行政はグラフィティを排除しようと監視やセキュリティーを強化します。電車に描くのは困難になり、グラフィティを取り締まる法律が厳しくなる中、リスクを負って活動し続けるライターの数は減っていきました。

84年にはニューヨーク市都市交通局は5年かけてグラフィティ撲滅運動を行い、89年を最後にグラフィティだらけの電車の姿は消えてしまいます。
 
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一方で、グラフィティライター達は表現の場をストリートや貨物列車、高速道路や屋上などに移し、建物のオーナーの許可を取って合法で描くなどするライター達も増えていきました。

ですが、違法で描かれるものも減らず、95年には当時のニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニが国内で史上最も大きな反グラフィティキャンペーンを掲げ、対策をより強化。エアロゾールスプレー缶を販売する店には万引きされないようカウンターの後ろに設置することを義務づけたり、18歳未満の子供に販売を禁止するなどしました。グラフィティに関する法律を犯した場合は罰金を課せられたりと深刻な問題化していきます。

法律が厳しくなって活動し続けるのが難しくなり、辞めていく若いライター達が増えていく一方で、次世代のライター達にとって描くことは彼らのライフスタイルの一部となっていき、現在も尚、活動を続けるライター達はたくさんいます。
 
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(C) Wane COD

 

ファッション、広告業界にも影響を広げるグラフィティ

また、グラフィティはストリートに留まらず、アートやファッション、デザインや広告業界にも大きな影響をもたらしました。ファッションブランドを持ったり、ギャラリーでの展示や大企業の広告キャンペーンを手がけたりと、アーティストとして活動するライター達も出てきてコマーシャルな展開が増えていきます。

海外での動きはどうだったのでしょう。80年代にはイギリスを始めヨーロッパ諸国でニューヨークのグラフィティカルチャーが人気となり、FuturaTATS CREWBrimBioなど多くのライター達が文化の橋渡し役として活躍しました。他にも日本を始めアジアの各国や南アメリカなどに広がっていき、世界各国で根付いた文化となりました。

以前、「ヒップホップの歴史を学ぼう! 70年代~80年代編」でもご紹介した83年公開の「ワイルド・スタイル」や「スタイル・ウォーズ」といった映画も世界中にグラフィティやヒップホップの存在を周知させ、世に大きな影響を与えた作品です。
 
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(C) Wild Style

グラフィティ本のバイブルとも言われている「サブウェイ・アート」や、見応えのある写真たっぷりで、70年代の地下鉄のグラフィティムーブメントがよく分かる「グラフィティ・キングス」などの多くの本からも、グラフィティについて学ぶことが出来ます。
 
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(C) Subway Art
https://www.facebook.com/subwayart/photos/pb.134017019999327.-2207520000.1457950767./134017079999321/?type=3&theater

危険な目にたくさんあいながらもグラフィティを通して自分の存在や才能を表現し続けてきたライター達。その情熱は国境を越えて多くの人々の心を魅了しました。

ライター達の勇気ある行動に敬意を払いつつ、これからもグラフィティカルチャーの変化や成長をフォローしていきたいですね。

Special Thanks: Wane COD

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