「頑固おやじ」はもう古い? 「甘口お受験父」の時代
ここ数年、「母と娘」の間に生じる葛藤の問題が話題になりましたが、実は「父と息子」の関係も微妙な問題を抱えやすいものです。
父権の強い時代には、家庭における父親のパワーは絶大なものでした。映画『エデンの東』や『スタンド・バイ・ミー』で描かれる主人公の父親のように、息子の甘えや弱さを許さない、厳しい「頑固おやじ」が多かった時代です。
一方、家庭における母親の発言権が増してくると共に父親の存在感は薄れ、「マザコン問題」や「母娘問題」など、母親の過保護・過干渉の問題が浮上するようになりました。しかし、近年では父親の家庭回帰やイクメンブームの影響もあり、「父と息子の問題」が新しい形で過熱し始めているようです。
たとえば、息子の受験に熱くなる「お受験父」。エリート化にこだわる父親は昔からいましたが、少し前の時代では「絶対に東大に合格しろ!」「医学部に入れ!」などの至上命題だけを掲げて肝心の教育は母親に丸投げし、結果だけで「できる」「できない」を評価する父親像が一般的でした。
しかし、近年の「お受験父」たちは、単純に偏差値や学校名だけにこだわっているわけではありません。息子の性格や能力をじっくり分析し、その子ならではの特性を理解して伸ばしてくれる学校を、よく吟味して選ぶ傾向にあるようです。
先回りして人生のヒントを示す父親を、息子はどう捉えるか
しかし、このように「息子に合う環境」を積極的に用意しようとする父親の熱意が、当の息子に思いがけない負の影響を与えてしまう場合があります。それは、先回りして息子の個性に合う環境を選び、父親の判断でレールを敷いてしてしまうと、息子は自動的にそのレール通りの生き方を歩んでしまうという影響です。
この傾向は、特に幼い時期には顕著です。幼児期から児童期の男の子は父親と自分を同一視し、父親が正しいと考えるルールや生き方を勤勉に達成しようとします。したがって、「僕は○○校に行きたい!」「僕は将来○○になりたい!」と子ども自身が語っているとしても、それは父親の希望を反映した言葉であり、子ども自身から内発する希望ではないことがあります。
特に、中学受験に挑戦する小学生時代は、息子が父親の希望を素直に受け入れやすい時期であるため、父親にとってはレールを敷きやすい時期です。ただしその挑戦は、息子本人が吟味して決めたものであるとは限らないため、息子の自主性や自立に影響が生じることがあります。
「反発すべき父」が見当たらない思春期息子の課題
このような「パートナーとしての父」が、息子の人生のレールを敷き、「息子に合う人生」をコーディネートすると、思春期以降に微妙な問題が発生する場合があります。
本来思春期は、自分自身の力、自分の価値観で人生を切り拓き始める時期にあたり、このとき男の子は「父殺し」のテーマに直面すると言われています。すなわち、それまで自分が同一化してきた父親の影響を抹殺して、自分で人生を築きたいと願うのです。
この父殺しのテーマには、映画『スター・ウォーズ』の主人公 ルーク・スカイウォーカーに対する父親 ダースベーダーのように、「反発すべき父」の存在が必要となります。しかし、父親が息子のパートナーとして機能し、息子を包み込みながらやさしくレールを敷いていると、息子は父親から脱皮する必要性を感じられず、ぬくぬくと父親の庇護下に安住してしまう可能性があります。
すると、息子は自分自身で人生を決めずに成長し、何でも父親に相談しながら、結局は父親に最終決定してもらうという「マザコン息子」ならぬ「ファザコン息子」へと成長していく可能性があるのです。
息子は「自分で決められる男」になっていますか?
実際、身近にこんな思春期、青年期の男子、父・息子関係をよく見かけないでしょうか?- 就職希望先は「父と同じ業種」。本人の志望理由は「父が勧めてくれたから」
- 友だちは、話が合わないから苦手。デートもお金がかかるから苦手。やっぱり家族といるのが安心で楽
- いつも自分の気持ちに先回りして気づいてくれる父。自分から相談しなくても済むので楽
- 学校や会社の制度はよく分からない。でも父に相談すると何でも調べてくれるので安心
もちろん、親との関係が良好なのは素晴らしいことです。しかし、自分のことは自分で決め、困難に直面したときには、自分から相談先を探し、合理的な行動を選択できるように成長していくことが大切です。人生の方向性はもちろん、身の回りの小さなことにおいても、息子が「自分で決められる男」になるために、必要な父親としての関わりを一度じっくり考えてみませんか?