エッサウィラの歴史 2. エッサウィラの建設
青で統一された漁船。奥に見えるのが城壁と稜堡
イスティクラル通り。左の塔はモスク隣接のミナレット
その後、アラウィー朝は鎖国政策をとり、エッサウィラは唯一の貿易港として開港され、ヨーロッパや新大陸との貿易拠点として繁栄した。しかし1800年にタンジェが開港してその役割を引き継ぐと、モロッコの中心はタンジェやラバト、フェズといった北部の都市に移り、エッサウィラの繁栄は終わりを告げる。
モロッコは16世紀頃からしばしばヨーロッパ列強の侵略を受け、ポルトガルやフランス、スペイン、イギリスといった国々の支配を受けた。エッサウィラもそうした被害にあったが、そのような複雑な歴史がこの文化都市を築き上げたのである。
世界遺産「エッサウィラのメディナ」の見所
白壁の美しい家並み
■城塞(スカラ)
北の稜堡。敵の砲弾に備えて二重の城壁で囲まれている
■官公庁跡
18世紀、エッサウィラは鎖国を行うモロッコ王国の唯一の貿易港として繁栄し、オランダやポルトガル、イギリス、フランスなどの領事館が設置されていた。これらの国の領事館跡が残されている。また、街の東に浮かぶ島には刑務所跡が見える。
■ユダヤ人街(メラー)
メラーのユダヤ人墓地 (C) World Imaging
■宗教施設
エッサウィラは多宗教の融合都市でもあった。グラン・モスクやベンユーセフ・マドラサをはじめとするイスラム教の施設以外に、18世紀に建設されたポルトガル教会、19世紀に建設されたサイモン・アティアス・シナゴーグ跡などが残されている。モスク隣接の塔=ミナレットから1日5回流されるアザーン(礼拝の呼び掛け)も印象的だ。
■スーク(市場)
この辺りには絨毯を売る露店が並んでいる
■漁港
多くの漁船が停留しており、造船所なども併設されている。魚を並べた漁師の周囲にはネコやカモメが群れをなし、ほのぼのとした景色を楽しむことができる。港の北には魚介類を並べたレストランが点在し、南には砂浜が広がっている。
■リヤド
リヤドは中庭のある民家を示すが、モロッコでは伝統的な民家を改修した古民家ホテルをリヤドと呼んでいる。味わいのある外観、花で彩られた中庭、昔ながらの暖炉といった設備はもちろん、オーナー家族と触れ合えるのも大きな魅力だ。