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たくさんのありがとう 任天堂 岩田聡社長死去(2ページ目)

日本中の、そして世界中の任天堂ファンにとって、あるいは多くのゲームファンにとって、そしてゲーム業界人にとって、彼は特別な、本当に特別な人でした。任天堂の代表取締役社長 岩田聡氏が、2015年7月11日、胆管腫瘍の為に死去しました。享年55歳、あまりにも若い死でした。

田下 広夢

執筆者:田下 広夢

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プログラマーが社長に就任し、ハル研究所を再建

大乱闘スマッシュブラザーズの図

今では任天堂の大看板となった大乱闘スマッシュブラザーズ。そのプロトタイプのプログラムを作ったのも、岩田氏だと言われています

ハル研究所を救済したのは、任天堂でした。そしてその際、当時の任天堂の山内博社長は、岩田氏をハル研究所の社長へと抜擢します。岩田氏を社長に向かえたハル研究所は、ライトユーザーでも遊びやすいゲームの開発をめざし「星のカービィ」や「大乱闘スマッシュブラザーズ」などのシリーズがヒット、再生の道を歩みます。

またその間、スーパーファミコン用ソフトとして任天堂からの発売を予定し、糸井重里氏が手掛けていた「MOTHER2 ギーグの逆襲」というRPGの開発でも、岩田氏の逸話が残っています。

開発が難航する現場に岩田氏が助っ人として投入。そこで岩田氏は、今まで作ったものを使って開発を進めれば、2年はかかるけれど、最初から作りなおさせてくれたら1年以内に完成させる、ということを言ったそうです。そして驚くべきことに、本当に1年でMOTHER2 ギーグの逆襲は完成したのです。

DS、Wiiで任天堂を躍進

Wiiの図

WiiやDSはそれまでゲームをあまり遊ばなかった人でも、遊んでみたくなるようなハードでした

2000年に任天堂に取締役経営企画室長として入社、2002年、代表取締役に就任。42歳という若さで、任天堂のトップに立ちます。これも当時の任天堂山内博社長の采配でした。経歴的には任天堂入社2年目、年齢もあまりに若く、異例中の異例ですが、この采配は結果的に大当たりを呼びます。

任天堂の社長に就任した岩田氏は「ゲーム人口の拡大」というスローガンを掲げ、2004年にタッチペンで遊ぶことのできる2画面の携帯ゲームハード「ニンテンドーDS」を発売、2006年には「Wiiリモコン」という棒状のコントローラーをテニスのラケットやゴルフのクラブに見立てて振って遊べる「Wii」を発売。

多くの人が覚えていることでしょう、この2つは世界中で大ヒットとなり、任天堂を大きく躍進させました。岩田氏は、天才プログラマーであり、また、あらゆることを分かりやすく説明する達人でもありました。
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