彼は特別な人でした
任天堂のカンファレンスなどでプレゼンテーションする様子は、ゲームファンにはおなじみの人でした(イラスト 橋本モチチ)
岩田社長は、ファミコン初期から家庭用ゲームにおいて重要な作品に携わった人物であり、天才プログラマーとして知られています。任天堂の社長になってからはニンテンドーDSやWiiで大いに任天堂を躍進させました。今でこそ、任天堂は苦戦してはいますが、その中でも懸命に次なる手を模索していました。
その突然の死に、多くのファンが悲しんでいます。
最初は任天堂の社員ではなかった?
私たちが子どもの頃遊んだファミコンソフトを作っていた人です
バルーンファイトというゲームは、風船でつるされたプレイヤーキャラクターを操作するのですが、これがフワフワと浮かぶキャラクターを操作するわけで、あっちに行こうとフワフワ、こっちにいこうとフワフワ、動かせるようでままならない、絶妙な操作感覚があり、これは岩田氏のプログラムによるものでした。
その後、所属していたハル研究所がピンチを迎えます。多額の負債を抱えて、和議(当時における民事再生法のようなもの)を申請したのです。しかし、これが岩田氏の転機となります。