歌舞伎と「と」の関係は
皆さんは、歌舞伎と聞いてどんな図柄を連想されるであろうか?私は、いの一番に独特の化粧法、隈取(くまどり)が頭に浮かぶ。一目見ただけで「これぞ歌舞伎」とすぐわかる、あのド迫力の隈取りである。もちろん、実際にユニクロ・松竹歌舞伎のコラボコーナーには、そんな「これぞ歌舞伎」商品がずらりと並んでいる。だが、この「と」シャツを見て歌舞伎と結びつける人は少ないのではないだろうか。ユニクロが日本将棋連盟と組んだのか、そう勘違いしてしまいそうでもある。一方で「何の不思議もないわ、歌舞伎も将棋も同じ日本文化なんだから」、そうお考えの方もいるだろう。それも一理ある。だが、だとすると、お茶碗模様だって、お寺模様だって、お遍路模様だって、温泉模様だって、OKになってしまう。それはそれで素敵かも知れないが、ユニクロが松竹歌舞伎と組んだ意味がなくなりそうだ。実は……。実は、歌舞伎と将棋には切っても切れないご縁があったのだ。
掛け声に将棋
歌舞伎を実際にご覧になった方もいるだろう。歌舞伎座などの大きな舞台だけでなく、地方のお祭りなどでも演じられることのある日本の伝統文化。もちろん、ネットやテレビの映像でご覧になったことがある方は、さらにたくさんいるだろう。観劇の際、客席からかかる掛け声をお聞きになったことがあるはずだ。たとえば、「待ってました!」とか「日本一!」などの威勢良い決まり言葉である。発しているのは、大向うと呼ばれる客達。役者の動きに合わせて送られる、この独特の掛け声は、舞台と客席を一体化し、歌舞伎になくてはならぬものになっている。
様々な掛け声の中で中心となるのは、役者の屋号である。例えば、大見得を切る市川海老蔵に大向うから「成田屋っ!」の声。会場の空気が最高潮に達する瞬間だ。さて、ここからが、今回の本丸である。実は、その「屋号」掛け声の中に、将棋ファンにとって、こんな素敵なものがあるのだ。
「いよっ!成駒屋っ!」
出た!成駒である。もちろん将棋の成駒のことだ。ここにきて、とうとう歌舞伎と将棋が結びついた。では、ガイドしよう。
「と」に隠された壮大な物語
「成駒屋」は四代目・中村歌右衛門から始まる屋号である。そもそも初代・歌右衛門は「加賀屋」という屋号だった。初代の故郷、加賀にちなんでつけられた屋号だ。もちろん四代目・歌右衛門も、その流れから言えば「加賀屋」である。だが、ある時、四代目・市川團十郎が 四代目・歌右衛門が大成したことを喜び、「駒が歩からと金になった」と成駒柄の着物を贈った。それをきっかけとして、屋号を「成駒屋」に改めたのである。これ、なんと江戸時代のことである。いかがであろうか。歌舞伎界も出世、大成を将棋の成駒にたとえていたのだ。将棋ファンとしては、なんとも嬉しいことである。そして、江戸の世に花を咲かせた四代目・團十郎が四代目・歌右衛門に贈った着物が、200年の時を越えて、Tシャツとして生まれ変わったのだ。合点がいった。普通、将棋駒をデザインするなら「王将」や「金将」ではないだろうか。少なくとも「歩」の裏字よりも通りが良さそうだ。しかし、かような歴史的ロマンがあったゆえに、ユニクロ・松竹歌舞伎の成駒柄は「と」と相成ったのだ。
2015年、ガイドが買い求めた「と」シャツ。そこには、壮大な物語が隠されていたのである。日本文化が凝縮された出世シャツ。これをまとったからには、ガラオジとても弱音は吐けぬ。迫り来る酷暑など何のそのである。
「やあ、やあ、夏よ、夏よぉ。目ぇに物見せてくれようぞぉ。さあさ、さあさ、どっからでも、かかってこいっ!」
見得を切る私の耳に声が届いた。
「いよっ!成駒屋っ!」
ああ、ありがたや。今宵は、これにてぇぇ。(幕)
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追記
「敬称に関して」
文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。
(1)プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
(2)アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
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