妊娠の基礎知識/出生前診断・新型出生前診断

優生思想、命の選別…日本の出生前診断の問題点(2ページ目)

出生前診断の全体像をお伝えする5回シリーズ第4回。出生前診断は技術的には大変進化しましたが、社会的にみると課題が山積みです。それを理解するカギは、優生思想の歴史にあります。

河合 蘭

執筆者:河合 蘭

妊娠・出産ガイド

出生前診断による人工妊娠中絶は、法律上の問題も抱えている

母体保護法とはどんな法律でしょうか?

日本では、刑法に堕胎罪が存在します。ですから、日本では基本的に人工妊娠中絶は禁じられており、行えば本人も医師も罰せられます。しかし、母体保護法が中絶をおこなってもよい条件を定めており、それに該当する場合は違法性が阻却され、その人工妊娠中絶は罪となりません。

日本では、堕胎罪は事実上「空文化」を起こしていて、国内では特殊な方法で中絶された場合を除いてこれまでに検挙の実例がありません。しかし、裁判の判例を見ても、医療現場を見ても、堕胎罪が確かに存在しているという事実は一定の重みを持っています。

羊水検査が登場した頃、日本産科婦人科学会は、中絶によって医師や本人が検挙されないように、母体保護法に「胎児条項(胎児の疾患を理由とした中絶を認める条項)」を定める改定案を提出しようとしました。母体保護法に認められている条件は、次のものだけで、胎児の病気は挙げられていないからです。

1. 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
2. 暴行ましくは脅迫によって又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの

拡大解釈の下で行われている出生前診断

専門家の中には、子どもに重い病気があれば親が心身の健康状態を崩すこともあるので、現在のままでも出生前診断による中絶は合法と解釈できるという人もいます。しかし「胎児の病気による中絶は、本当は違法行為だ」と考える人もたくさんいますから、胎児条項が必要だという声が上がるわけです。

しかし、この動きについては大きな反対運動が起き、法案は提出されませんでした。ですから、今も、出生前診断後の人工妊娠中絶は「身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」という条項を使って行われています。つまり厳密に言うと、出生前診断の結果による中絶は、いつ刑法違反を問われても不思議ではない状態にあります。

そのため、出生前診断に拠る中絶に直面した人たちは、引き受けてくれる病院がない等、つらい思いが一層増すような体験をすることもあるようです。

妊婦健診では、医師から出生前診断の話はしないことが多い

日本では、妊婦健診の診察室で医師から出生前診断の話が出ないことが多いのですが、これも日本の特徴です。ですから知らない間に検査時期を過ぎてしまう人もいますが、日本の医師は出生前診断については説明義務を負っていません。

これには、国の見解が大きく関わっています。1990年代の終わり、当時の厚生省「厚生科学審議会先端医療技術評価部会・出生前診断に関する専門委員会」という委員会を組織しました。この記事の最初でも触れた「国の委員会」とは、これのことです。その委員会が、「母体血清マーカー検査に関する見解」という見解を出したのですが、ここに、検査の存在は「知らせる必要はない」と明記した一文が書かれたのです。この見解は、厚生省児童家庭局長(当時)の名において全国の都道府県知事らに向けて通知が発出されました。

国際的な医療倫理の原則に照らせば、存在する医療技術が患者(妊婦さん)に知らされ、患者さんが自分で決めることは正しい医療をおこなうための基本的条件です。しかし、この委員会では、医療倫理の分野で国際的に活躍していた委員からは強い反対があったにも関わらず、「この場合は知らせる必要はない」という結論に達しました。私は、この時の膨大な議事録を何度も読み返しましたが、ほとんどが障害者と医師の立場を案じるもので、妊婦さんの立場に関する発言は数えるほどしかありませんでした。欧米のように、忙しい医師に代わって説明する専門家を増やし、障害を持つ人の教育や福祉を手厚くする道も見えていたと思うのですが、そのような方向に向かうことはなかったのです。

これは、当時一部の施設での濫用が社会問題となっていた「母体血清マーカー検査」という検査についてのものでした。でも、出生前診断について国が示した見解はこれしかないので、以後、学会が他の出生前診断についてガイドラインをまとめる際も、「知らせる必要はなし」という基本姿勢は常に踏襲されてきました。

妊婦さん本人が自ら動かなければならない現状

ですから日本では、多くの医師は、妊婦さんから切り出さなければ出生前診断の話はしません。中には、妊婦さんから切り出しても、検査に対する自分の反対意見を述べるだけで説明をしない医師もいるようです。その際、妊婦さんは主治医には隠して、他施設に検査を受けに行くこともあります。これは、その後のコミュニケーションに支障が出る恐れがあります。

日本には、何事においても、女性が自分の意志で行動することに対する根強い反発があります。出生前診断も、その例外ではありません。家族が、出生前診断について決定者になることも少なくないようです。

いろいろと出生前診断の問題が停滞をしてきた理由を書いてきましたが、出生前診断には、このように、日本女性の自分で決められない状況が映し出されていると思います。

変化の兆しが、まったくないわけではありません。2013年に出された日本産科婦人科学会の見解では、「検査を受けるかどうかは妊婦本人が熟慮の上で判断・選択するもの」といった妊婦さんの意志を尊重する文言が表れました。しかし現場が全国的に変わるまでは、まだ少し時間がかかりそうです。

【出生前診断 全5回シリーズ】
第1回:賛成? 反対? 出生前診断の歴史と意義
第2回:出生前診断とは? 種類・時期・費用・実施病院
第3回:出生前診断に必要な「遺伝カウンセリング」とは
第4回:優生思想、命の選別…日本の出生前診断の問題点(この記事です)
第5回:妊娠したら誰しも受ける「超音波検査」の落とし穴

【参考書籍】

「出生前診断」(朝日新書)表紙

出生前診断-出産ジャーナリストが見つめた現状と未来(朝日新書)

出生前診断−出産ジャーナリストが見つめた現状と未来(朝日新書・2015年)

本シリーズは、医師や遺伝カウンセラー等の専門家、妊婦さんに取材したこの本をもとに構成しました。出生前診断の歴史や海外の最新動向、体験者の生の声などをまとめています。出生前診断について自分なりの答えを探している方は、ぜひご一読ください。

 
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