出生前診断における日本特有の問題点とは?

出生前診断について5回シリーズでお送りする記事の第4回です(第3回『出生前診断に必要な「遺伝カウンセリング」とは』から続きます)。

これまで出生前診断の実際的な知識について書いてきましたが、それを読んでいて疑問を感じた人も多いのではないでしょうか。それは、日本には諸外国とは違う事情がいくつもあるためです。

出生前診断そのものがタブー視されている

日本では医学的問題が見つかった場合の中絶だけが問題だとされてきた

欧米では、出生前診断は、国の規制の下で個人が決めること。

ところが日本では、国の規制もなければ個人が決める自由も大切にされていません。

出生前診断は、実は新しい問題ではありません。出生前診断は1970年代から始まったもので、すでに半世紀近い歴史があります。妊婦健診で「羊水検査を受けますか」と聞かれた第一世代の女性たちは、もう70代、80代になっています。

その頃から「出生前診断を許してよいのか」という賛否両論の激しい議論は続いてきました。それは海外でも論じられてきた議論です。しかし、日本は、議論から一体何を生んできたでしょうか。

欧州では、激しい議論の末、出生前診断は一人ひとりの女性が決定することとされ、WHO(世界保健機構)も、ガイドラインでそう明記しました。検査とその前後のあり方については国の法律で規制がかけられ、日本のように自由に行うことはできません。実施件数や結果については詳細な統計がとられており、公開されている国がたくさんあります。

ところが日本では40年間似たような議論が繰り返されているだけで、国の規制は何ひとつできません。拘束力に限界ある学会のガイドラインがあるだけです。過去には国が委員会を組織(詳しくは後述)して議論したこともありましたが、その席上では、国がルールを作れば検査を肯定することになるという危惧が語られました。国や自治体には、出生前診断は、それに触れること自体がタブーだという認識があるようです。

大きかった「不幸な子どもの生まれない対策室」に対する反対運動

羊水検査が始まった1970年代から出生前診断に関わってきたベテラン医師たちにインタビューを重ねていくと、国や自治体のタブー意識は、当時、各地で起きた激しい反対運動に端を発しているということがはっきりとわかります。

羊水検査は、当時の厚生省では研究班によって盛んに研究されていました。この時期は全国各地に現在の主要な周産期施設が次々立ち上がった時期でもあり、そこでも出生前診断は開始されようとしていました。

しかし、障害のある人たちの団体が激しい抗議行動に出たことで、県立の病院では羊水検査を行わないとする自治体が相次ぎます。抗議行動はその後も折に触れて繰り返され、マスコミも、出生前診断の記事には必ず「命の選別」という言葉を使うようになりました。

一番有名なのは、兵庫県で「不幸な子どもの生まれない対策室」という名称の部署が設置され、羊水検査の希望者には費用の半額を助成するという事業が始まったことに対する反対運動です。

人口妊娠中絶は年間19万件も。しかし問題になることは少ない

農耕の国である日本にはもともと「カエス」などの表現もあり、良いとは思わないまでも中絶に寛容な出産文化があります。今も全国では年間19万件もの人工妊娠中絶があります。国の複数の統計から計算してみたところ(※1)、その割合は妊娠約6.5件に1件の割合となりました(2013年)。

多くは「結婚できないから」「2人、3人と産むとお金がかかるから」という理由で行われています。こうした社会的事情による中絶が妊娠22週未満という遅い時期まで認められている国はあまりないのですが、日本では可能です。しかも、こうした中絶が問題になることはほとんどありません。

胎児の生命を大切にすべきだという観点に立つなら、シングルマザーや多子家庭を支援したり、もしくは避妊方法の近代化を図ったりすべきだと思います。しかし、そうはならず、日本では医学的問題が見つかった場合の中絶だけが問題だとされ、反対運動が起きたり、マスコミで取り上げられたり、学校でレポートを書かされたりします。

(※1) 厚生労働省衛生行政報告例によると2013年現在の人工中絶件数は約19万件。これに人口動態統計調査にある同年の分娩件数104万件(死産、多胎妊娠含む)を合わせた約123万件が年間の妊娠件数とすると、妊娠約6.5件に1件の割合で中絶となったことがわかります。

優生思想の歴史が、出生前診断の議論に濃い影を落としている

日本が出生前診断による中絶だけを特別視するのは、通常の中絶反対運動とは違う理由があるからです。それは、ここには「優生思想」の影が落ちるからです。

優生思想とは、誰が産み、誰が産まないか(誰が生まれるべきで、誰が生まれないべきか)を国がコントロールすれば国民の質が高まるという思想です。戦時下の人口政策としては「産めよ増やせよ」のスローガンが知られる「数」への介入が有名ですが、もうひとつ、「質」への介入もあったのです。

現代の遺伝学に照らすと、これには科学的根拠がありません。しかし第二次世界大戦以前は欧米で広く実践されました。日本も、遺伝性疾患がある人に「お国のためだ」と言って断種を奨めました。そればかりか、日本は、戦後もこの方針を継続しました。欧米はそれを反省する方向に向かったのに対し、日本は臆面もなく、その名も「優生保護法(現在の母体保護法)」と名乗る法律を制定し、断種を強制できる条文まで作りました。

現在、母体保護法を見ると、名称も「優生」が「母体」に置き変わり、中も優生思想に基づく条文はすべて削除されています。しかし、1995年に起きたその改正に、かねてより優生思想に反対していた人たちは疑問を抱いています。国が考えを改めたというより、外圧を警戒して急きょ行ったものに過ぎないと判断されたからです。この頃、国際社会では「リプロダクティブヘルス/ライツ」という妊娠についての女性の自己決定権が確立しました。そのため、障害がある人の産む権利を許さない時代錯誤の法律は強い非難を受ける恐れがあり、慌てて変更されたのだと考えられています。

日本では、現在でも、この優生思想にルーツを持つ法律「母体保護法」が中絶について規定している法律です。この法律について、次のページで見ていきましょう。