『アラジン』演出・振付ケイシー・ニコロウ合同インタビュー・レポート
ケイシー・ニコロウさん(C)Marino Matsushima
『ブック・オブ・モーモン』でトニー賞を受賞、ほか『ドロウジー・シャペロン』『サムシング・ロッテン!』(以上演出&振付)『モンティ・パイソンのスパマロット』(振付のみ)など数々の話題作を手掛けている彼ですが、日本で直接演出に関わるのは初めて。開幕にあわせて来日し、5月19日から稽古に参加している彼に、手ごたえをうかがいました。(質問は各社からアトランダムに行われましたが、記事化にあたり適宜順序を整理しています)
――外国語で自作をご覧になるのは初めてだそうですが。
「はい。エキサイティングだし驚いてもいるのは、違う言語でも物語がちゃんと伝わるということです。そこで何が起きているかがよくわかるし、エネルギーも伝わってくる。お客さんも同じタイミングで反応していることが分ります。この作品のハートがしっかり根付いていると思えます。俳優たちがこの作品を愛してやっていることが分るので、観ている側は感情移入せずにはいられない。日本にしっくりくる、相性のいい作品ではないかと思う。衣裳もエレガントで四季の俳優にぴったりではないでしょうか。」
――どんな思いで舞台化にあたられましたか?
「この素材に僕が合うと思い、ディズニー・シアトリカル社長のトム・シューマーカーが持ちかけてくれたそうです。僕はこの人のためにとか誰にでも受け入れられるようにとか(まず客層を意識して)演出をすることはしません。大事にするのは物語です。そこから出発すれば、作品に何が必要であるかが見えてきます。また自分が客席にいてみたいものを作るようにしますが、そうすると、意図せずとも皆さんが観たかったものになるということがよくあります」
アラブに限定せず様々な文化を取り込み
“アグラバー”のスタイルを作り上げた
――振付について、シアターダンスにアラブのダンスが加わったものを想像していましたが、実際はよりボキャブラリーが豊かで、スペイン風だったりコサック風、マンボ風だったりしましたが、どのような意図だったのでしょうか?(質問・松島)「いい質問ですね。基本的にはアグラバーというのは架空の街なので、いろんな要素を盛り込んで自分のスタイルを作ることが出来ました。エスニックな感覚、異国情緒は大事だけど、一つのボキャブラリーに絞ってしまうのはオーセンティックではあっても演劇的ではないと思ったんです。そこでちょこっとロシア風、ギリシャ風、ボリウッド風等の要素を混ぜたのですが、共通するのは情熱的であること。エネルギーが高いものをいれました」
――もう一つ、振付においてもセットデザインにおいても、非常にシンメトリカル(左右対称)な構図を感じましたが、その意図は?(質問・松島)
「そのほうがフォーカスしやすいと思うんです。特にジーニーのPrince AliとかFriend like meですとかスターがいるシーンでは、シンメトリカルであることでスターが目立ち、同時に人々が周りにいることで活気のある絵が出来ると思うんです」
――アニメ版では作品の中心にあるナンバーが“A Whole New World”でしたが、舞台版ではそれよりも“Proud of your boy”のほうにスライドされているのでしょうか?(質問・松島)
「そう思います。本作で、人間として一番変化を遂げなくてはならないのがアラジン。心の旅が大きくなくてはならない。映画は80分ぐらいしかなかったからか、“Proud~”は入れられなかったのですよね。子供というターゲットを考えた時、バラードを2曲入れるのが難しかったんでしょう。あるいは、恋をからめないバラードというのがアニメには難しいのかもしれません。しかし、舞台においては主人公が自分の求めているものをバラードで歌うのは望ましいことだと思います。起承転結というのがあるとしたら、この作品は物語が転がりだすまでがとても長い。映画だと台詞2つくらいで次の場面に行けてしまうんですけどね(笑)」
――セットの意図は?
「基本的に、すべてが誇張されたものになっています。エレガントで眩い。階級によって場面の色はわけていて、マーケットの庶民のシーンでは色彩豊かに、宮殿のシーンでは白にという設定にしています。NY以前にトロントでトライアウトをした時には、もっと宮殿のシーンが多かったんです。アニメ版は草稿の段階ではバブカックたちがナレーター役だったので、そのように作ってみたのだけど、うまくいかなかった(笑)。“アラジンやジーニーを見に来たのに、この3人は誰?”とお客さんたちに思われてしまって。そこでこのナレーターは全部カットし、セットも考え直しました。幕前芝居はバブカックたちがやっていたけど、ジャファーとイアゴーのシーンに変えたりとね」
――映画を舞台にするにはどういう視点が必要だと思いますか?
「基本的には、常に映画の精神は保ちつつ“どうやってこれを舞台にのせるか”を考えなければいけない。いっぽうで、映画にあまり忠実にと考えるとあまりいい舞台にならないので、忘れることも大切だと思います。そのまま舞台にのせることは不可能なのです。『スパマロット』の振付をしていたときに、作者のエリック・アイドルがそのことを教えてくれました。原作である映画版にはあまりにも象徴的な、誰もが知っているシーンがあり、カットできない、あのシーン大好きなのにとファンに言われると思ったけれど、エリックは“観客が作品に引き込まれていれば、帰宅するまで何が無くなったか気づかないから大丈夫だよ”と言ってくれたんです。出来が悪ければ“ああ家で映画を観てればよかった”と思われてしまうけれど(笑)。
『アラジン』の場合、映画はもともとミュージカルコメディとして、楽曲が多数ある作品という方向性にアシュマンとメンケンが決めていたのですが、アシュマンがなくなってしまった後で6曲カットされ、登場人物も4人カット。ミュージカルコメディからアクションアドベンチャーへと方向性が変わりました。今回、僕らはそのミュージカルコメディのハートを取り戻そうと考えました。
具体的なところでは、“Prince Ali”は映画では大行列のシーンで、行列を見ている人まで出てくるけど、舞台版では出演者は18人。パレードは無理ですよね(笑)。アンサンブルが4回早変わりするなど、ただ人数を出すのではない見せ方を工夫しています。そういう事情もあってあのシーンはシンメトリーな構図でないと具合が悪いといったこともあったんです(笑)
また、舞台化にあたって、僕らはアラジンにはバブカック、オマール、カシームという3人の仲間がいるという構造を作りました。本音を言える相手、心を開ける仲間ですね。ジャスミンにも本音を言える側近がいます。“お子様向けのショー”というより、どの世代にも楽しんでほしかったので、アニメに出てきた動物はすべてカットしました。作品によっては着ぐるみなどで動物を出すことが効果を挙げることもあるけれど、今回はそういう方法をとらなかった。
主人公のアラジンは泥棒という設定ですが、もし友達の白いサルが盗んできて、彼が“ダメだぞお前”と言ったりすれば、また違う話にもなりますね。しかし今回はあくまで彼自身が盗みを働いていて、“もうやめよう”と決心するという方向にしています」
――そのバブカックたちのキャラクターはどのように決めていったのですか?
「コメディの見地から決めて行きました。一人は食べ物のジョークが言えるキャラクター。一人はアラジンに良識を補わせるというか、地に足を付けて置くことを思い出させるキャラクター。そしてもう一人はちょっと怖がりだけど、自分の心の感じるままに行くべきだと思い起こさせるキャラクター。そんな設定のもと、当初はそれぞれいい台詞もたくさんあったけれど、諸般の事情でカットされてしまったんだ(笑)」
――魔法のじゅうたんのシーンは本当に魔法のように見えましたが、あの仕掛けは?
「それは“演劇の魔法”ということで、絶対に種明かししません(笑)。“あれはホーバークラフトですか?”などといろいろ聞かれますが(笑)」
*次頁では本作の人気キャラクター、ジーニーについて大いに語ります。日本のジーニー、ケイシーさんの目にはどう映るでしょう?