マネジメント/マネジメント事例

メディア戦略の教科書!?ビートルズの音楽ビジネス再考(2ページ目)

21日から来日公演をスタートさせる元ビートルズのポール・マッカートニー。今回は中止になった昨年のリベンジ公演ですが、2万円弱のチケットの売れ行きは上々とのことです。多くの人々が今だに彼の公演に足を運ぶのは、とりもなおさず元ビートルズを見たいからであり、期待するものがビートルズ・ナンバーの再演であるのは疑いのないところです。ビートルズはなぜそこまで大物になったのか、そのビジネス戦略を検証します。

大関 暁夫

執筆者:大関 暁夫

組織マネジメントガイド

唯一無二の音楽アーティストへ

また音楽アーティストがストーリー仕立ての主演映画を作ると言うのはプレスリーを参考にしたとは言え、音楽性を重視したその作品はビートルズ・ブームに一層拍車を掛けることになります。映画の制作により、世界中の音楽ファンが動くビートルズに接することとなり、ワールドワイドな一気の人気拡大につながったのです。ビートルズは、こうした巧みなメディア戦略で世界制覇へと突き進んでいったのです。

そしてとどめを刺したのが、64年彼らのアメリカ初上陸作戦でのプロモーション戦術です。それは、彼らがアメリカの地を踏んだニューヨーク、ケネディ空港に1万人のファンが押し寄せ空港が黄色い声援で埋め尽くされる中、熱狂的に迎えられたという衝撃的なニュース映像が全米はじめ世界中に流されたことでした。

この映像効果は絶大でした。彼らが出演した「エド・サリバン・ショー」は、アメリカ全土で72%という前代未聞の高視聴率を叩きだします。アメリカを完全ノックアウトしたビートルズ旋風はそのまま日本を含む世界中で社会現象を引き起こし、遂には60年代の大衆文化を代表するエポックメイキングな存在となって、後世に語り継がれる唯一無二の音楽アーティストに上りつめたのです。

後々分かったことなのですが、実はこの空港の騒ぎは数日前にニューヨーク入りしたブライアンが、多額のコストを掛けてティーンエイジャーたちをかき集めて投入したものだったのです。今で言うところのスティルス・マーケティングに、すでにこの時代に取り組んでいたと言う事実にはただただ驚かされるばかりです。

ビートルズを終わらせたビジネスとアートのせめぎあい

解説

今も聖地として多くのビートルズファンが訪れるアビーロード

このようにデビュー以来ビートルズのビジネス戦略を支えたブライアンでしたが、67年に28歳の若さで急逝します。その跡を継ぎグループを方向づけようとしたのはポール・マッカートニーでした。ポールは、ブライアンが作り上げたビートルズのイメージ戦略を、自身を中心とした音楽作品の制作や、映画の企画を通じて踏襲しようと苦戦します。

しかし、第三者的立場でバンド運営にかかわったブライアンに対して当時者であるポールは、ビートルズの精神的リーダーで人一倍アーティスティックなジョン・レノンとの衝突を避けられず、遂には空中分解寸前の状態に陥っていきます。ビジネスとアートのせめぎ合いがそこにはありました。そしてビートルズは、まとまりを失いながらもビジネスとして確立されていたが故に、分裂すればするほど周囲の私利私欲の餌食となって解散に向かうことになるのです。

70歳を越えたポール・マッカートニーは、今再びビートルズ・ナンバーを中心とした楽曲を演奏して、約50年にわたるポピュラー音楽史を俯瞰させるかのようなステージを我々に届けてくれています。『イエスタディ』『ヘイ・ジュード』『レット・イット・ビー』……、今も彼が演奏するビートルズ・ナンバーの数々には、ポピュラー音楽ビジネスの歴史もまた脈々と息づいているのです。
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