光速の寄せも共同作業
谷川だけに許された「光速の寄せ」にしても、実は共同作業なのである。想像していただきたい。谷川の攻めを相手が受け間違えれば「光速の寄せ」とはならない。単なるワンサイドゲームとなるだけだ。谷川が攻めれば、相手がしっかりと受ける。その上で、最短の道を選択し、その手を決断する。
その結果として「光」が姿を現す。自力だけではどうにもならない世界なのだ。自分が指した後は「他力」を信頼するしかないのである。もちろん、競技の性質上、すべての将棋が同様の面を持っている。だが、それをイデオロギーとして確立しているのが谷川なのである。ガイドしていこう。
父の背中に見たもの
「門前の小僧、習わぬ経(きょう)を読む」と言う。谷川の生家は寺であった。このことわざではないが、住職の父親は谷川に経を教えることはなかった。谷川だけではない。5歳上の兄も教わることはなかった。彼らを寺の跡継ぎに、と考える父ではなかったのだ。だからこそ、彼らは父の背中に経を見ていた。経の精神は、彼らの心に確固たるイデオロギーとして残っていったのだ。実家の宗派は浄土真宗。阿弥陀如来を信仰の対象としている。そして、その教えの根本となるものが「他力本願」なのである。私は宗教家でもなければ宗教学者でもない。だから、詳しく語る術は持ち合わせてはいないが、ここでいう他力本願とは、俗世の他人に頼るという意味ではない。他力とは、阿弥陀如来の力である。本願とは、皆を救いたいという阿弥陀如来の願いである。自分の力には限界がある、いや、己の力など無に等しい。だから、阿弥陀様を頼り、そして、与えられた他者とのご縁を大切に人生を生きていこうということだ。
谷川が棋士になったきっかけ
宗教評論家であり、仏教原理主義者のひろさちやは仏教の教えとして、多くの著作にこう書いている。サイコロの目も仏教で言うご縁なのだ。「人生に迷ったら、サイコロをふって決めなさい」/ひろさちや
実は、谷川が棋士になるきっかけにも、サイコロの目のような偶然が大きく関わっていた。谷川と兄。子どもの頃は、けんかばかり。見かねた父は「少しでも、おさまれば」と将棋盤を与えたそうである。
だが、父はまったく将棋の知識がない。「歩が成れば金の動きだが、香が成れば銀の動きなのか?」と首をかしげる程度だった。競い合うように二人は強くなった。子どもながら、大会に出れば、二人とも優勝、入賞。そんなことも珍しくなかった。
ある日、二人はプロ棋士・内藤國雄から指導対局を受ける機会に恵まれる。谷川、11歳のことだった。内藤は兄の方が強いと見た。だから、兄には少しのハンディを、弟には大きなハンディを与えた。もちろん、内藤のさじ加減での手合割りである。結果、兄は内藤に敗れ、弟は勝つ。これによって、弟はプロへの道を選んだ。
将棋を知らぬ父であったがゆえ、ハンディのことがわからず、それを受け入れた。内藤のさじ加減というサイコロのご縁が、二人の道を分けたのである。兄は東大へ進学した。ちなみにアマ棋士としてタイトルを幾たびも獲得している。
谷川は史上2人目の中学生棋士となり、プロ棋士として大活躍をする。そして21歳で最年少名人になり、頂点を極めた。「光速流」谷川浩司が棋界を席巻する。
「光」とは
仏教で言う「光」とは仏の智慧の象徴である。智慧の光には迷いを破る力があると説いている。父の背中に経を見ていた谷川は「光」こそ求めるものだと感じていただろう。だから、「光速」という異名を、ありがたいご縁と思ったのではないか。謙虚な谷川が「光速」を自称さえしたのは、それ故だろう。谷川は将棋という世界に阿弥陀如来の光を見ている。俗世の他力世界に、阿弥陀如来の光という絶対他力を見いだそうとしている。だからこそ、居住まいを正す。そして、観ている者に美しさを感じさせるのだ。光を見つけようとする谷川自身が、文字通り光っているのだ。
あの日、谷川が見ていたもの
1995年、阪神淡路大震災が起きる。谷川の生家も壊れた。被災者でもあった彼だが、王将戦が迫っていた。相手は猛手・羽生である。当時、羽生は六冠。もちろん最強の挑戦者だ。だが、谷川は羽生を退けた。大震災に沈む人々に光を与えたのだ。そして、16年後に起きた東日本大震災。被災経験者として谷川は、こうメッセージを送った。
「がんばれ東北」、「がんばろう東北」の言葉が日本中を覆う中での発言だ。誤解を招くおそれもある。だが、谷川は勇気を持って発した。きっと……。自身が被災したあの日も、あの恐怖の日にも、きっと、谷川は阿弥陀如来を見ていたのだ。「(被災者の皆さん)がんばりすぎないでください」/谷川
おつきあい、ありがとうございました。
(了)
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追記
「敬称に関して」
文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。
(1)プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
(2)アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
(3)その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。
「文中の記述に関して」
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