神武以来の天才といわれる加藤一二三は、対局中に、旅館の庭にある人工の滝の音が思考の邪魔になると訴えた。森内俊之(過去記事)は、対局相手の扇子の音が気になり、苦情を言った。
水を打ったような静けさという言葉があるが、打ち水の音でさえ時として排除される静寂が将棋の生命線だ。だから、タイトル戦を企画するスタッフは、その会場の段取りに命をすり減らすほどの苦労をするという。音という世界から遮断された異空間こそ将棋の対局にふさわしいのである。
そう考えると、その対極にあるのが、プロレスだ。プロレスは、試合前から、相手を威嚇する。
「つぶしてやるぜ!」
「覚悟しておけ!」
そんな言葉は、プロレスの世界では、ごく、日常的なパフォーマンスだ。派手なコスチュームでの入場。覆面レスラー。顔面ペイント。会場いっぱいに響き渡るテーマソング。レーザー光線の嵐。
反則のかぎりをつくすプロレスラーだっているし、さらに観客を襲うレスラーだって珍しくない。ご存じだろうか?有刺鉄線電流爆破マッチなんて形式の試合もある。リングを囲うロープのかわりに有刺鉄線を張り、そこに電流を流す。さらにその電流により火薬が爆発する。その爆音は、鼓膜どころか内臓をもふるわせる喧騒(けんそう)世界を創り出す。
棋界のマッサン、郷田真隆(まさたか)
かように静寂と喧騒という対極に位置する将棋とプロレス。無理もない。一方はわびさびを好む日本の伝統文化、一方はアメリカから入ってきた派手な外来文化であり、その生い立ちからしてまったく違うのだから。しかしながら、この両極に通ずる棋士がいる。その名は郷田真隆。王位、棋王などのタイトルを獲得した超天才棋士である。実は、すでに述べたエピソード、森内が気にした、あの扇子の音を発したのは彼なのだ。
余談になるが、私は彼を「棋界のマッサン」と呼んでいる。NHKの朝ドラ「マッサン(過去記事)」にちなんでである。真隆という名前はもちろんだが、理由はそれだけではない。「マッサン」のモデルとなった竹鶴政孝。彼は日本酒の造り酒屋に生まれ育ちながら、洋酒である「ウィスキーの父」と呼ばれた。和と洋の文化に精通する「マッサン」に、和の将棋と洋のプロレスに通じる郷田との共通点を感じるからだ。今回は郷田をプロレスから分析し、その将棋を探っていきたい。
2つの文化に融合点はあるのか
ルール同様に、いや、それ以上にマナーを重んじる将棋。歴史を通じて築き上げられた棋道(関連記事)は、これからも受け継がれ厳粛に守られていく。一方、反則も5秒以内なら許され、さらには、デスマッチという反則そのものがルールとなるシステムをも許容するプロレス。そのめざすべき精神性のベクトルがまったく違うと思われる2つの文化。郷田の中で、いかにして二つの文化が融合したのか?将棋とプロレスという文化は、陸続きではない。既述のように大洋で遮断されたものである。足下には、ヘレニズムを生んだアレクサンダーさえも、ため息を漏らすであろう大海が広がっているのだ。だが・・、1492年、クリストファー・コロンブスは、1ミリも接点を持たぬユーラシア大陸とアメリカ大陸を結んだ。 将棋大陸とプロレス大陸を結ぶコロンブスこそが郷田なのだ。