石井さんは門下生のなかでも早くからご自身の作品を手がけ、高い評価を受けています。
石井漠先生直筆の色紙
モスクワで男性バレエダンサーを見て、なんて素晴らしいんだとものすごく驚かされました。空中に浮いたまま落っこちてこないし、それでいて音もなく着地する。帰国してすぐ漠先生に、“私もバレエを習いに行きます”と宣言したんです。もともと先生はイタリアのローシーにバレエを習っていて、そこから自分の舞踊詩をつくりはじめた。漠先生もバレエをやってらした訳だし、これは必要だと思いますと。今度ボリショイバレエ団から先生が来日するのでぜひやらせてくださいと言ったら、先生は“いいよ”と言う。普通はそんなことありえない話で、破門だなんて言われるらしいですね。
バレエ学校で出会ったのがメッセレル先生でした。当時の私はすごく太くて、硬くて、それはもうひどかった。でもメッセレル先生が、音楽的に素晴らしい、音感がいいと言ってくれて。ワルツのリズムをすぐに取れたのは教室の中で私だけだったんです。それは漠先生のお陰だと思います。先生はすごく音に厳しかったから。
私もよく言っていますが、音楽に合わせているのではダメ、心で歌ってないとウソなんです。リズムは合わせるものではなくて、心で歌うものなんです。だから私、カラオケはダメ(笑)。カラオケって、自分がムリにテンポを合わせて歌わなきゃいけないでしょう? でもダンスは合わせているだけではダメなんです。まず合わせるけど、そこから先は歌わないと。そこを飛び越えるのは大変ですね。けれど、バレエもそうだし、詩も、絵も、きっと全部そう。全てそこに集約されると思います。
『山を登る』1987年モスクワ出発前、研究所開催の送る会にて。漠先生と。