日本で初めて経済科を設け、経済と法律を学ぶ専修学校
専修大学の歴史は今から130余年前の1880年(明治13年)に設立された「専修学校」に始まります。大日本帝国憲法の施行が1890年(明治23年)であることを考えると、当時は、江戸時代から近代社会への転換期であり、近代日本の勃興、混乱期と言ってもいいでしょう。
“専修学校”は、経済科と法律科を学ぶ夜間2年制の学校として開学し、初年度から入学希望者が殺到したそうです。
今ではあたり前のようになっていますが、現在の東京大学も含めて当時は“経済科”を持つ学校が日本にはなく、また、日本語で法律を学べる学校も皆無でした。
そんななか、“専修学校”では私学で初めて法律科を設けただけでなく、法律科の講義を日本語で行なうという画期的な学校であったのです。
経済と法律は密接に関わっており、この両輪は新しい社会を創造していくためには欠かすことのできない知識です。
日本語で法律と経済を学べるということは、一部のエリートのためではなく、志を持つ全ての人に教育の機会を開くことを意味します。
働く若者に教育の機会を創った4人の創立者たち
大学に限らず、全ての企業や団体には創立者がいますが、そのほとんどがひとりのカリスマリーダーによって創られます。しかし、専修大学の前身である“専修学校”は、相馬永胤(そうまながたね), 田尻稲次郎(たじりいなじろう), 目賀田種太郎(めがたたねたろう), 駒井重格(こまいしげただ)という4人の人物によって設立されました。
しかも、今とは時代が違うとはいえ、設立時の年齢は、相馬と田尻が30歳、目賀田と駒井は27歳という若さです。
4人は、明治維新後すぐに国費や藩費留学生として、アメリカの大学で法律や経済学を学び、帰国後はそれぞれが法律や財務の専門家として近代日本創りに貢献した人たちですが、それにしても庶民のための教育の必要性を体感し、実行に移した若き創立者たちの思いと行動力に感動を覚えてしまいます。
“専修学校”の設立に向けた4人の奮闘ぶりは「蒼翼の獅子たち」(志茂田景樹 著 河出書房新社)に詳しく描かれていますので、興味のあるかたはご一読を勧めます。
奨学金という観点から大学を取材していると、実は一つひとつの制度に、様々な思いが込められていることに気づかされることがあります。
また、創立者が教育にかけた情熱や思いを知り、その大学の魅力を再発見することもしばしばです。
相馬をはじめ4人の創立者たちの精神を受け継ぐ専修大学。
授業料と施設費が4年間免除されるだけでなく、生活費支援まであるスカラシップ入学試験は全国17会場で実施されます。
意欲のある受験生には、ぜひチャレンジして欲しい奨学金制度です。