事件現場近くを歩く!
さて、歌舞伎の「忠臣蔵」は随分史実とは異なりますが、実際に事件があったことは紛れもない事実。そんな事件現場「吉良邸」付近を実際に歩いてみましょう。ほんの1時間もあれば十分なコースです。「吉良邸」のはっぴが粋!
吉良邸のはっぴを着込んでいるスタッフが、たのしく案内をしてくれました。
忠臣蔵ゆかりの地を巡るツアーは、討ち入り前後しかやっていませんが、墨田区観光協会では、その近くをめぐるツアーを豊富に用意してありますので、ぜひ利用してみてください。英語の案内もあります。
義士の息遣いも聴こえてくるよう
【本所松坂町跡の石碑】昭和4年に町名変更の折、旧町名を惜しむ人々が建立
墨田随一のパワースポットだとか
大高源五の句碑
詠んだのは義士のひとり大高源五。俳諧にもすぐれた才能を発揮し、宝井其角とも交流があったと伝えられています。討ち入りのあと、近くの酒屋に飛び込み「死骸の始末をしてくれる方々への酒代」として金2両を与え、この句を詠んだそうです。吉良邸の隣家に「通報もせず見守ってくれた」と謝辞の意味で送ったとの話もあります。この隣家とのやりとりの話が歌舞伎では「松浦の太鼓」になっています。文武両道な大高源五でありましたが、風貌は「いもづらで猪首(あばたヅラで首が短い)」とのこと。イケメンではなかったようです。
【旧両国橋】
ここで休息したのち、泉岳寺へ
無事討ち入りを果たし、泉岳寺へ向かう前のしばしの休息を取る義士たちの気持ちはいかばかりだったでしょうか。路地とは違い少しだだっ広くなっているところなので、ここに47人集まっていたのかと思うと、息遣いも伝わってくるようです。妙に落ち着いた義士もいたでしょうか、ハイテンションな若者もいたかもしれません。
今は駐車場と広めの道路で、人通りも少ないようです。
【討ち入りそば跡】
討ち入りそば跡
でも、とても小さい敷地で47人は集まれそうもありませんね。実際のところは、目立たないように数人ずつ分かれて集合。ここでは吉田忠左衛門親子・原惣右衛門など数人が「そば切り」を食べたそうです。
ボランティアガイドさんが錦絵を見せながら解説
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