作品づくりの際、いつも創作ノートを書くそうですね。
田村>書き留めるのは、言葉だったり、絵だったり、いろいろです。今回は親方に聞いた話、現地を案内してくださった方の話、八戸で出会った方々が何気なく言ったことなど、たくさん書き留めました。そこから多くのイメージが膨らみ、シーンが生まれました。例えば終盤の『くじらさまの祝福舞』というシーンもそう。八戸では、恵比寿様というと鯨のことらしいんです。何故かというと、鯨がいるということは鰯が大量にいる証拠。だから、大漁の証なん だと。八戸の海に連れて行ってもらったとき、“あの海面に鯨がバーッと現われて潮吹いた日にゃ漁師は大喜びだな”と想像したり、そんなシーンが最後に出てきたらお祭りみたいで目出たいな、と考えたり。出会った方たちとの会話、八戸の景色、感じたものがそのまま作品世界にまとまった、という感じでしたね。
「オママゴト」(2010) (C)松田純一
これまでとは経緯や背景も違う作品づくりですね。一番大変だった部分とは?
田村>作品の方向性が決まるまでは、絶望するくらいどうしていいかわからなかったです。この偉大な民俗芸能を一体どう扱えばいいんだろうとゾッとしてた時期がありました。ただタイトルを決めたあたりから、方向性が見えてきた。僕が想像するおじょう藤九郎をやればいいのかなと。バラバラだったものがだんだん自分の中で整理されてきて、その頃からどんどん創作が面白くなってきました。「又」(2014 )
(C)山本尚明
作品って、結局モチーフとかテーマ探しでもある。それ自体に苦労はないんですけど、作品をつくるとお客さんに“何でキミがコレをテーマにするの?”と聞かれることがあります。“なんで「風の又三郎」なんだ?”とか……。そこをどう解決するかは、振付家にとって重要な問題でもあります。外国で公演をやると、しょっちゅう「原爆」と結び付けられてしまったり。とにかくやる方も受け取る方も、何らかのリアリティを求めているんだと思います。
自分が感じたことをどのように感じたかと向き合うのは、オリジナリティにも繋がっていくことだと思いますが、結局は本人もお客さんもそこを納得するかどうかですよね。もしこれが “ネットで「えんぶり」を見て、かっこ良いと思ったのでやってみました!”ということだと、やっぱり違っていたと思う。
東京生まれの東京育ちでも、「えんぶり」を胸張って題材にできたのは何故か? それを東京のお客さんはどう感じるのか? 『おじょう藤九郎さま』でのモチーフとの距離の持ち方というのは、今後の創作にも大きく影響することだと感じているところです。今回はそういう意味ではブレずに、方向性は自ずとはっきりしていた感じでした。実際リハーサルに入ってからは、こうなったらこうだというものが不思議と出てきて、迷いなく作品をつくることができました。
「血」(2008) (C)松田純一