帰阪して10年目

ガイド:
2004年に松前さんが関わった作品を通じて松前さんの歴史を探るために「松前公高クロニクル」という取材記事を作らせて頂きました。長い間、多くの人たちの読まれた長寿記事のひとつです。今回、10年一区切りということで、この記事以降の松前さんの歴史を付け加える目的でお話を伺わせてください。しかし、10年ってあっという間ですね~。

松前公高クロニクル (All Aboutテクノポップ)

松前:
そうですねー。私にとってもこの10年は大きな変化がありました。ちょうど生活の拠点を大阪に戻して10年目なんです。前回取材していただいたのは大阪に帰る直前だったんですね。そもそも大阪に帰ろうと決断したのは、ソフトウェア音源とインターネットの発達が大きいんです。東京に住んでいても、ほとんど引きこもり状態で家で作業してる。スタジオを使う事も減ってきて、しかも曲などのデータはネットでそのまま送れる。もう東京に住んでる必要ないんじゃないか?と思って。幸いマニュエラ(マニュアル・オブ・エラーズ・アーティスツ、松前所属の事務所)が窓口として東京にあるので、作業は大阪で出来るかなと思って、大好きな大阪に戻る事にしました。打合せやライヴなどではちょくちょく東京にもいますが。
matsumae

松前公高


AORは宝の山

ガイド:
松前さんのDJは、神戸テクミーなどのイベントで何度か聴かせてもらいました。松前さんお決まりの選曲と言ってもいいのが、Playerの「Baby Come Back」。1977年の米国ビルボードチャートで1位に輝いた大ヒット曲。一発屋かつAOR的な扱いを受けることもありますが、ソウルにも影響を受けた良質ポップスで、僕も気に入って当時アルバムを買いました。前回のインタヴューではジャーマンロックやプログレ的なルーツの話をしましたが、こういった曲も松前さんの音楽ルーツのひとつなんでしょうか?

松前:
10代、20代の自分はまだ確立したものを持ってなかったし、実際に評価を受けたものもなかったので、メジャーへの対抗意識みたいな、売れてるものへの拒否反応がありましたね。売れる自信がない、自分がそうじゃない事を正当化する為に、売れているものを根拠なく否定するような(笑)若気の至りでした!

その後、自分のやりたい事、やってる事にある程度自信がついてきたり、もう変えようもないし「これでいいんだ」って思える様になった途端に、メジャーなものだろうと、売れてるものであろうと、ちゃんと聴ける様になった、「他人は他人、自分は自分」で気にならなくなりましたね。そうすると、AORとかって、すっごくよく出来た音楽な訳で、歳をとってからは、80年代ヒットチャートへの拒否反応が全くなくなったんです。そうなると、もうそこは宝の山ですよ(笑)。

今まで、聴かず嫌いで避けてきた所に、とんでもなく素晴らしい音楽がまだ山の様に残っている。しかもそれが70~80年代「録音」の音質で。90年代以降のテクノよりむしろ、こっちのほうがしっくりくるというか、心地よい。そんな事でAOR、フュージョンなどをとにかく聴きまくってます。特にお気に入りはジェイ・グレイドン周辺ですね。スティーブ・キプナー、ペイジズ、他にもたくさんお気に入りです。プログレっぽい所もありますしね。

Baby Come Back (YouTube)
Steve Kipner (YouTube)

matsumae

ラーメンを食べる松前公高