今回は、きどりっこ、エキスポ、コンスタンス・タワーズ、SPACE PONCHなどのグループ、そしてソロ、リミキサー、アレンジャーとして活躍する松前公高さんに登場いただきます。これを読めば、松前さんの歴史が早分かり。

プログレ少年

Photo by Ryu Yano
――今回のインタヴューの狙いは、松前さんが関わった作品を通じて、松前さんの歴史を探るという壮大なものです。最初に、松前さんのテクノ初体験(普通の初体験ではないです)を教えてください。松前さんの作品から想像するには、やはりクラフトワークおよびプログレの一派としてのジャーマン・ロックあたりかなと思うんですが。

当時つきあっていた彼女と...あ。そうじゃなくて、中学生の時、タンジェリン・ドリームのフェードラの中の1曲と、クラフトワークの「ショールーム・ダミーズ」を渋谷陽一氏のNHKのFMで聴いたのが最初ですね。どんどんのめりこんでいって、プログレの王道と同時にジャーマン系を調べて聴いていく様になりました。

きどりっこ加入・脱退

――松前さんは、佐藤隆一さん、てんちゆみさんと"きどりっこ"を結成し、ミニアルバム『セレレガンスな愉しみ』(1986年)〔ジャケ写は、『流行通信簿』と2-in-1になったCD『きどりっこ』〕をキャプテン・レコードからリリースされていますが、これが最初のミュージシャンとしてのレコード・リリースでしょうか? いわゆるテクノポップ然としたサウンドでしたが、アルバム発表後、すぐに松前さんは脱退しちゃいますよね。方向性の違いとかがあったのでしょうか? それとも、そもそもお手伝い的な活動だったのでしょうか?

二人とメンバー募集で知り合って僕が加入した時点で、バンド名決めて本格的にライヴ活動をやるようになりました。完全に三人のバンドでしたが、その後、岸野雄一等とも知り合う様になって、そちらでもバンドをはじめたりします。自分でやりたい音楽が定まっていなかった、というか、いろいろな事をやってみたかったという気持ちが強くて、その一つが"きどりっこ"の様な女性ボーカルだったんですが、それはそれで満たされていたものの、インストゥルメンツでシンセを、しかもかなり極端な音楽をやりたいという気持ちがずっとありました。更に"エキスポ"もはじめたりして、ハード・スケジュールになりすぎて脱退したんですが、音楽的な違いも実際には出てきていて、これは僕が脱退したセカンドアルバムを後で聴かせてもらったけど、明確に変わっていたので、いずれにしてもこのアルバムは制作する事はできなかったな、と思いました。