ヒット曲に依存しないセットリスト
コンサートは1994年のシングル『そのキスが欲しい』から始まった。けっしてヒットはしなかったが、当時流行のグラムやビジュアル系の雰囲気を取り入れた優雅でテンポのいいロックナンバーで、ファンに人気の高い曲だ。イントロが始まると同時に僕がいた三階席まで一気に総立ちになる。続けてこれまた定番で、1980年に佐野元春から提供されたアルバム曲『彼女はデリケート』。ステージ狭しと走り回る沢田、サビの掛け合いでここぞとばかりに「デリケート!デリケート!」と叫ぶ観客……固定されたファンが多いとは言え、開演からわずか数分の間にヒット曲抜きにここまで場の空気を支配できるアーティストがどれだけいるだろうか。
6曲目、7曲目になってようやく往年のヒット曲『憎みきれないろくでなし』、『追憶』を歌ったが、沢田の歌いぶりはなんとなくラフで"こんな歌もありましたね"と言わんばかり。沢田はアンコールで2、3曲のヒット曲をまとめて歌う際もかならず冒頭に「おまけです」と断る。過去のヒット曲をおろそかに扱うつもりはないだろうが、沢田にはそれよりも今伝えたい歌があるのだ。
反戦 反原発
今回のコンサートで特に印象的だったのは中盤に固められた沢田自ら作詞した反戦、反原発ソング。「我が窮状(9条) 守れないなら 真の平和ありえない」(『我が窮状』2008年)
「復興延々と進まず 国は荒むよ」(『一握り人の罪』2014年)
「つらい もう限界です 見つけてください」(『三年想いよ』2014年)
「BYE BYE 原発 」(『F・A・P・P』2012年)
など、これまでの楽曲とは一転して現実的な歌詞が突き刺さる。
沢田がこうした政治や思想に踏み込んだ曲を発表し始めたのは60歳になった2008年から。アルバム『ROCK'N ROLL MARCH』収録曲で、先に挙げた『我が窮状』を初めて聴いた時は正直言ってなんだか違和感があった。
しかし、それから東日本大震災、未曾有の原発事故を経てさらに自らのメッセージを明確にしてゆく沢田の姿を見てようやく合点がいった。沢田は音楽人としての余生を"ジュリー"ではなく"沢田研二"として生きることを選んだのだ。自分の言葉で、誰にもおもねらず本音の歌を歌いたいのだ。
沢田はけっしてすぐれた作詞家ではない。言葉のつながりが不自然で語呂も悪いし、なにより表現がストレートすぎて文学的なセンスに大きく欠ける。しかし、それゆえに口から吐いた時のインパクトは凄まじいものがある。一般のシンガーソングライターや商業作詞家のように何か狙ったり、配慮したり、格好つける気がない沢田ならではの境地と言えるだろう。
この日も、低音のきいた堂々とした歌いぶり、身体の底からふりしぼるようなシャウト……まさに全身全霊をこめた迫真のパフォーマンスは思想や政治的な立場を超えて聴く者の心をとらえた。僕も思わず震えた。
自ら輝く星
この日のコンサートでアンコールを含めて計24曲を歌いきった沢田にはさすがに疲れが見て取れた。しかし観ていてなんともすがすがしい疲れだ。今年で66歳を迎えた沢田研二。毎年新曲をリリースし、ホール級の全国ツアーをおこなうアーティストとしてはおそらく最高齢となるだろう。なぜに沢田は1960年代、グループサウンズブームの時代から50年近い年月を経てなお日本のポップス、ロックシーンに輝き続けることができるのか。
それは沢田が誰かに光を当てられて輝く星ではないから。自ら輝く星だからに違いない。
今後も長い、きらびやかな活躍に期待したいものだ。