伝説のマネージャー『上条英男』

西城秀樹、舘ひろし(『クールス』メンバーとして)、川島なおみ、浅田美代子、ジョー山中(『4・9・1』メンバーとして)、安西マリア、小山ルミ、ゴールデンハーフ、カルメン・マキ、吉沢京子、五十嵐じゅん、三東ルシア、チャコとヘルスエンジェル、貴水博之……

1960年代から1980年代にかけて日本の歌謡曲、ロックシーンで活躍した名だたるスターたちを自分一人の手腕でスカウトし、デビューに導いた男がいる。

その男の名は『上条英男』(上條とも)。
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『くたばれ芸能界』より


「伝説のマネージャー」「芸能界では有名な人」「ヤ〇ザ」などさまざまな"オブラートでつつんだ"形容をされている彼だが、じっさい法に触れることもなんらいとわず、ひたすらスターを生み出すためだけに突き進んできたその生きざまは筆舌に尽くしがたい。
 

ミュージシャンのはずが暴力団事務所に討ち入り!?

上条英男は1941年生まれ、北九州市出身。
はじめはミュージシャン志望で、ロカビリー全盛期の1960年ごろに北原じゅん、小坂一也らのバンドボーイを経て『テクサス・ロッカーズ』を結成している。

渡辺プロダクションのオーディションに落選し、審査員から
「何かが足りないんだ。もう一度基礎から修行をしてみる気はないかね」
と声をかけられ発奮した上条は『4・9・1』という新バンドを結成して、なぜか4年もの長きにわたって東北地方、北海道に修行の旅へ。

しかも「暴力団の事務所に日本刀を持って討ち入り」したり「メンバーの不始末をつぐなうため日本刀で切られる」など音楽とはまったく関係ない方面(※実際、当時の芸能・音楽界は暴力団の支配を受ける部分が大きかったのだが)で活躍しすぎて逮捕されてしまうのだ。

拘留が終わり、タクシーに乗った上条はローリング・ストーンズの『PAIN IN MY HEART』、『HEART OF STONE』を聴いて「自分の時代が終わった」と感じ、現役からの引退とマネージャーへの転向を決意。
これまでもたいがい壮絶だったが、さらに壮絶な上条英男のマネージャー人生が始まる。
 

マネージャーとしての初仕事!沢田研二のスカウトに失敗

1966年になっていた。
マネージャーに転向した上条がまっさきに手がけたのは自分が抜けた4・9・1のメンバー探し。

あるとき大阪のジャズ喫茶『ナンバ一番』でミュージシャンを物色していた上条は、ひときわセクシーな輝きをはなつ若いバンドに声をかけた。
「東京に出てみないか。君たちならイケる」
しかし上条が提示した条件はバンド全員ではなく、ボーカル、サイドギター、ベースだけの引抜き。

これに対して窓口になっていたボーカルは
「大変嬉しい話なんですけど、僕たちは全員揃わなければ東京へいけません。」
ときっぱり拒絶した。
このボーカルこそ後に芸能界の頂点を極めるスター・沢田研二だった。
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上条氏がスカウトした当時は『ファニーズ』。デビュー後は『ザ・タイガース』としてグループサウンズの頂点に立った

 

捨て身の人心掌握術で成功

沢田研二には断られたものの、上条はジョー山中をスカウトし、4・9・1をそれなりに軌道に乗せることに成功。
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4・9・1『ウォーキン・ザ・バルコニー』


ついで小山ルミ、吉沢京子を売り出して芸能界で一目置かれるところとなった。
上条のもっともの強みであった人心掌握術は、捨て身の愛情を示すことと鉄拳制裁。
小山ルミの場合だと、学校でいじめられていると聞けば教室までついてゆき毎日が父兄参観。
たちの悪い彼氏ができたと聞けばその前でハサミを自分の胸に突き刺し
「おまえ、ルミが死ぬほど好きなんだったら俺と同じことができるはずだな!」
と絶叫……
いやはやなんとも。
 

名著『くたばれ芸能界』

このあたりの激しいエピソードに関しては、いくつかある上条の著作の中でも『くたばれ芸能界』(1990年)がもっとも詳しい。
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『くたばれ芸能界』(データハウス刊)

 

いくつか見出しを挙げるだけでも
「(※小山ルミを)本気で殴る・育てる」
「石坂浩二までもが……」
「恩を忘れた西城秀樹」
「奈美悦子とやったぞ!!(※ヒデキが)」
「自殺未遂事件」
「(※舘ひろしの)激しいセックスと女性関係」
「暴走族に半殺し」

などなど……
いやはやなんとも。

何十というスターを発掘・育成した上条だが、自分では大きなプロダクションを運営することはなかった。
本人にその気があったかどうかはわからないが、結果的には活動が軌道に乗ったタレントを他人のプロダクションに預けてしまうのだ。
上条からマネージャーとして指導をうけた現『NPO法人ミュージックソムリエ協会』代表の鈴木健二のブログ『熱血音楽業界!!』によると、上条はバクチでの散財が著しかったらしく、数百万、数千万規模の負債を作ってしまうこともたびたびだったということだが、やっぱりそのあたりの経済感覚が災いしたのかなぁ……
 

『TOTO』を日本に呼びそこねて失踪

1980年代に入っても川島なおみを輩出するなど、まだまだ第一線で活躍していた上条だがある事件がもとでしばし活動が停滞することになる。
当時、上条がメインで手がけていた西園寺たまき(テレサ野田)のアルバムでバックバンドを担当していたブレイク前の『TOTO』に
「オー!ユー達、最高にロッケンロールだね!! かぁー俺はしびれたねー。
実はさ、来年春に東京音楽祭ってのがあるんだけど、ユー達その時テリー(西園寺たまき)のバックバンドやってくれないかね?」

と持ちかけてノリで口約束。

メンバー達からしたらほんの愛想だったようだが、真に受けた上条は東京音楽祭を主催するTBSに決定事項として話を持っていってしまったのだ。

さらに間が悪い(?)ことに、その直後にTOTOはグラミー賞で『レコード・オブ・ザ・イヤー』や『アルバム・オブ・ザ・イヤー』といった主要部門も含む6部門を受賞。
もともとが口約束だった上に、グラミー賞を受賞したTOTOがわざわざバックバンドをやりに日本にくるはずがない。
事態が把握できたときにはすでにテレビでさんざんCMをうったあと。
その筋からの負債も相まって日本に居られなくなった上条は静かに姿をくらませた。
 

何があっても慕われる人望

上条はその後、ほとぼりが冷めるのを待ってなんとなく活動再開。
そして1990年の『くたばれ芸能界』出版や数度の事件を経て現在もマネージメント業を継続している。
普通ならポカがあったら帰ってこれない世界のはずなのだが、なぜか上条に関しては業界の様々な有力者が有形無形の援助を惜しまないということだ。

特に『くたばれ芸能界』は自分が育てたタレントに関しても厳しく批判したり、プライベートを暴露する内容になっているのだが、近年のパーティーには相変わらず西城秀樹、舘ひろし、安西マリア、三東ルシアらが花を贈ったり出向いたりしている。

これはもはや人望としか言いようがないだろう。
タレント側にしても、本気になって育ててもらったという実感があるから、批判も"お説教"として受け入れ、いつまでも師匠を盛り立てていきたいと思えるのではないだろうか。
 

そういえばガイドの身近にも……

そういえばガイドの身近にも上条英男人脈がいた。
1970年代のパープルシャドウズ、ジュテーム、SLOGなどで活躍した剣正人さんだ。
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パープルシャドウズ、ジュテーム、SLOGなどで活躍した剣正人さん。中将タカノリ実家にて


『愛は血の涙』で『第11回日本有線大賞新人奨励賞受賞 』をうけたSLOGはたしかに上条英男がデビューさせたバンド。
しかし、この記事を書くにあたって
「協力してください~」
と話してからなぜか一週間も電話がつながらなくなってしまっている。
なにか業界の力でも働いてしまったのだろうか?

せっかくなので剣さんと連絡がつながったらまた上条氏に関して記事を書かせてもらおうと思う。
とりあえず今は剣さんの無事を祈るばかりだ。
 

※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。