歌手、音楽家として

2015年12月9日、85歳で亡くなった野坂昭如さん。

一般には直木賞受賞作品でアニメ化もされた『火垂るの墓』(1967年)の作家として紹介されることが多いが、そのイメージだけで彼を捉えるのは正確ではない。

彼は1963年の文壇デビュー以前から、シャンソン歌手“クロード野坂”として活動したり、日本初のCMソング作家として知られる三木鶏郎のマネージャーを務めたりと、イッパシのキャリアを持った音楽業界人だった。

1957年に放送作家を始めて『おもちゃのチャチャチャ』(1959年※後に吉岡治により改変され現在の歌詞に)、『ハトヤの唄』(1961年)、『ハウス バーモント・カレーの唄』(1963年)と言った歴史的なTVソング、CMソングの作詞を手がけて才能を大きく花開かせ、それが1963年の小説『エロ事師たち』での文壇デビューにつながってゆくわけだ。


歌謡曲史に輝く名曲の数々

作家として地位を確立した後も彼の音楽活動はますます活発化する。

1969年には黒人ブルースのカバー『ポー・ボーイ』(『POOR BOY BLUES』)でレコードデビュー。

以後『マリリン・モンロー・ノー・リターン』(1970年※B面『黒の舟唄』と共にスマッシュ・ヒット)、『バージン・ブルース』(1972年)など数々の作品を発表して、その個性で世間の話題をさらった。
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ややあやふやなリズムと音程……やけにダンディーで力強い声……そして「野坂さんの言動を見て感じたことを歌詞に」(2011年11月23日『HMV』記事『特集 イマコソ、野坂昭如』より)したという三木鶏郎マネージャー時代からの盟友・桜井順(作詞は“能吉利人”名義)による

「この世はもうじきお終いだ」
(『マリリン・モンロー・ノー・リターン』)
「ジンジンジンジン血がジンジン」(『バージン・ブルース』)

と言った強烈で虚無的でキャッチーなフレーズが三位一体になり不思議な魅力をもたらしている野坂音楽。

混沌の世相を背景としたアングラムーブメントとの親近性も深いものがあり、必ずしも大きなヒットには至らなかったが、1970年前後の歌謡曲を語る上で避けて通れないトピックと言えるだろう。


1980年代以降の音楽への影響

一連の野坂音楽は後の世代にも大きなインパクトを与え、さまざまなアーティストによってカバーされている。

代表的なものに長谷川きよし『黒の舟唄』
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戸川純『バージンブルース』(1989年)

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があるが、それぞれジャンルこそ違えどコアな音楽ファンに愛される個性派というのが面白い。

また熱烈なリスペクトの発露として2000年にはクレイジーケンバンドが自らの出演イベント『青山246深夜族の夜』に野坂本人を招いてコラボレーションした上、ライブアルバムをリリースしている。
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心からお悔やみ申し上げます

作家、音楽家……他にもタレント、政治家などうさんくさい仕事にはかたっぱしから手を出した野坂昭如さん。

そのパワーと、賢さと、怪しさと、バカバカしさと、悲しさはある意味で戦後の日本社会そのものだったと言えるかもしれない。

上っ面ばかり塗り重ねてどんどん面白くなくなっていく時代を彼はどんな眼で見つめていたのだろうか。

つくづく惜しいね。

心からお悔やみ申し上げます。


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