『アリス・イン・ワンダーランド』観劇レポート
ひと夜の大冒険が気づかせる、「ささやかな日常の幸福」
『アリス・イン・ワンダーランド』撮影:田中亜紀
現代ニューヨーカー女性のリアルな日常と、19世紀の英国児童文学。一見、何の関連性もないこの二つの世界がみごとに重ねあわされた『アリス・イン・ワンダーランド』は、ミュージカルの可能性をまざまざと見せる意欲作です。
主人公のアリスは最近、スランプ気味の作家。今日も編集部で「冒険が足りない」と書き直しを命じられ、苛立ったまま帰宅する。家では娘のクロエと別居中の夫が待っていたが、彼らとの会話もそこそこに仮眠をとるべく、ベッドへ。すると突然、時間に追われたウサギが現れ、彼を追ってクロエも姿を消してしまう。慌てて追いかけるアリスは、次々に独自のモットーを持つ奇妙なキャラクターたちに出会い、彼らの狂騒に巻き込まれてゆく……。
フランク・ワイルドホーンの多彩な音楽で観客の耳を楽しませながら、舞台はアリスに少しずつ、「どう生きたいのか」を問うていきます。後半には「登場人物の全員がアリスの一部である」という事実が判明しますが、その中でダークな心を象徴する「帽子屋」が勢力を拡大。それはアリスが深層心理で望んでいたことなのでしょうか、それとも……?
『アリス・イン・ワンダーランド』撮影:田中亜紀
人間の心の闇をさらけ出し、追求するという、英米のストレートプレイではよくあるテーマを、ミュージカルと言う形式で試みた本作。初演に続き今回の舞台も演劇出身の演出家、鈴木裕美さんが演出を手掛けることで、演劇的なコクを感じさせつつ、ミュージカルとしての楽しさもたっぷりと味わえる仕上がりとなっています。
アリス役の安蘭けいさんは、全てをさらけ出し、ほどよくリラックスした「居方」が、そもそも全てがアリスの脳内の出来事であるという前提をぴたりと表現。終盤には初演よりさらに惚れ惚れするような(?!)立ち回りも見せてくれます。アリスのダークサイドこと帽子屋役の濱田めぐみさんは「悪」の凄みと魅力がふんぷん。初登場でのジャジーなナンバーもいいのですが、正体を現す「勝利者は私だ」、このいかにもワイルドホーン的な押しの強いナンバーで、聴き手をぐっと引き込みます。
『アリス・イン・ワンダーランド』撮影:田中亜紀
水先案内人役の平方元基さんは、キャリア豊富な面々の中に「新星」として飛び込んだ初々しさを、ウサギのテンションの高さにうまく転換。インタビューでは「体が大きい」ことでウサギに見えるかどうかを心配されていましたが、舞台上でアリスらに責め立てられ、委縮し、手を振り回す様子は実にチャーミング。嫌みのない「愛らしさ」と時折見せる冷静さ、知性が、アリスに「気づき」を与えるウサギ役にぴったりです。カンパニーでは「3バカ」と呼ばれているらしい、芋虫=新納慎也さん、エル・ガト=小野田龍之介さん、白のナイト=石川禅さんはそれぞれの個性を際立たせつつ、大ナンバーになると息の合ったダンスを披露。エンターテイナーとして舞台を膨らませています。アンサンブル・キャストもめまぐるしく衣裳を変えながら「手」(振り)の多いダンスをこなし、舞台を華やかに彩っています。
『アリス・イン・ワンダーランド』撮影:田中亜紀
一夜の夢の中で大冒険を経験したアリス。目が覚めると、問題山積の現実は昨晩のままですが、アリスは一つ一つ、小さなことから日常を変えていこう、とリストを作っていきます。この「今日やりたいこと」というナンバーが、安蘭さんの晴れやかな歌唱によってなんと身近で、また胸を打つメッセージに聞こえることか。ともに大冒険を経験した観客たちもきっと、自身の「日常」がいとおしくなるミュージカルです。