ペルーが誇る聖なる都、世界遺産「クスコ市街」
太陽神インティや創造神ビラコチャの子孫である皇帝=サパ・インカが治める神の国、インカ帝国。その都クスコは黄金の帯に覆われ、黄金の庭、黄金の庭石、黄金の神像や黄金の動物像によって黄金色に輝いていたという。ヨーロッパを中心にアメリカ・アフリカ・アジアに領地を持ち、「太陽の沈まぬ帝国」を築いたスペイン帝国はインカ帝国を滅ぼし、その石組や平面プランを土台に町を再建し、クスコをペルー副王領の首都として整備する。
現在見られるクスコの街並みはこれらふたつの帝国文化が融合したもので、一粒で二度楽しめる多彩な見どころが魅力。今回はそんなペルーの世界遺産「クスコ市街」の歴史や市内&郊外の見どころ、行き方等の観光情報まで、その魅力を存分に紹介する。
「太陽の帝国」インカの伝説
伝説では、太陽神インティ(一説では創造神ビラコチャ)は、息子マンコ・カパックと娘ママ・オクリョを地上に遣わしたという。マンコ・カパックが降り立ったのはチチカカ湖の「太陽の島」。そしてインティから与えられた金の杖タパク・ヤウリを投げると、杖は「大地のヘソ」クスコを示したという。マンコ・カパックは洞窟を通ってクスコを訪れると、太陽神殿コリンカチャを建設し、同時に太陽の民衆インカを創造して大帝国を創り上げた。インカ帝国だ。
最盛期にはコロンビアからチリに至る広大な領土を治めたインカ帝国は、総延長40000キロメートルに及ぶといわれるインカ道(世界遺産「カパック・ニャン アンデスの道」)を張り巡らせ、帝国を飛脚「チャスキ」で結んだ。その中心に君臨したのが聖なる都クスコだ。
インカ帝国の誕生と滅亡
四大文明が砂漠で発達したように、南米でも文明化された大きな文化は環境が厳しいアンデス山脈やその西の砂漠地帯で発達した。紀元前2500年頃から石やレンガで都市の建築がはじまると、アンデス近辺ではチャビン、モチェ、ナスカ、ワリ、ティワナク、チムーなどの文化が起こり、都市国家や王国を築いた。精密な石組や脳外科手術、地上絵などで知られる高等技術の大半は、このプレ・インカ時代(インカ帝国成立以前)に成立したものだ。
13世紀前後にケチュア人の国インカが起こると、15世紀後半にはアンデス一帯を平定して大帝国を築き上げた。インカ帝国はクスコを中心に地方をインカ道で連結し、各地から特産品を集めて分配することでひとつにまとめた。鉄器や車輪は持たなかったが、金や銀を精錬する技術に長け、インカ帝国は伝説の黄金郷「エル・ドラド」そのままに繁栄した。 大航海時代、黄金の国の伝説を聞きつけて南米の地にやってきたスペイン人コンキスタドール(征服者)、フランシスコ・ピサロはついにこのインカ帝国を発見する。そしてカハマルカという温泉場に168人の兵とともに乗り込むと、皇帝アタワルバを捕らえ、帝国にある黄金を集めさせ、奪うだけ奪うと1533年に処刑してしまう。
この後、インカ帝国はスペインの傀儡政権と、山中深くに逃げた亡命政権に分裂するが、1572年、亡命政権最後の皇帝トゥパック・アマルがクスコで処刑され、傀儡政権最後の皇帝カルロス・インカが退位すると、完全に滅亡してしまう。
スペインの侵略とペルー副王領クスコの建設
クスコに侵入したスペイン人たちは、インカ帝国の首都クスコを徹底的に破壊した。ただ、石組はあまりに堅牢だったため壊すに壊せず、そのまま土台として利用することになった。おかげで石組やインカ時代の町の平面プランは残されることになった。町の中心に中央広場であるプラザ・デ・アルマスとカテドラル(大聖堂)を建設し、ここを中心に都市の再建を開始した。北米や南米の都市はいずれも中央に広場と大聖堂があるが、これはいずれの都市も大航海時代にスペインやポルトガルによって町が再建されたことを意味している。 この過程でコリンカチャはサント・ドミンゴ修道院、ビラコチャ神殿はカテドラル、アマルカンチャ宮殿はラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会へと建て替えられた。そしてインティ・ライミをはじめとするインカ時代の儀式を禁止し、人々にキリスト教カトリックへの改宗を強制した。こうして物理的な侵略が一段落すると、精神的な支配へと移行していった。
クスコは1542年にスペインのペルー副王領の首都とされた。そして太平洋に港湾都市リマを建設し(世界遺産「リマ歴史地区」)、クスコの黄金をスペインへと積み出した。
クスコを襲った大地震とインカ壁、インチキ壁
サント・ドミンゴ修道院の石組を見ると、きっと誰もがこう思う。「これ、本当に石を組んであるのか?」。 カミソリ1枚どころか、一枚岩に筋を描いたようにしか見えない。アンデスはもともとプレートがぶつかりあってできた山脈だ。日本列島と同じくプレート活動が盛んで、地震が多い。クスコは何度も何度も地震に襲われているが、特に巨大だったのが1650年と1950年の大地震だ。この2度の地震では、スペインが建設した建物が軒並み崩壊していく中で、インカの石組はびくともしなかったという。 圧巻はなんといっても12角(じゅうにかく)の石。この石の周囲は大きな石、小さな石、多角形の石、丸い石などが不規則に積み上げられている。にもかかわらず、やはり隙間ひとつない。
想像してほしい。石を組むとき、まったく同じ大きさの四角い石をたくさん作って組んでいった方が簡単ではないか? 多角形や丸い石を積み上げたら、周りの石をそれに合わせて削らなくてはならない。しかも石の大きさはまちまち。なんという面倒! でも、力学的にはこれがいいらしい。大きな石と小さな石が組み合わさることで力の移動がスムーズに進み、地震などで加えられた力を分散させて逃す構造になっているのだそうだ。ただ、それを意識していたか否かはわかっていない。
ここは見逃すな! クスコ市内の見どころ
クスコ市内の主な見どころを紹介しよう。世界遺産に登録されているのはプラザ・デ・アルマスを中心としたエリアと、アルムデナ広場と教会、サンティアゴ広場と教会、ベレン広場と教会の4か所。主な見どころはプラザ・デ・アルマス周辺に集中している。■プラザ・デ・アルマス/アルマス広場
インカ時代には「喜びの場所(ワカイパタ)」と呼ばれ、祈りや儀式の場となっていた。最後の皇帝トゥパック・アマルが処刑され、ピサロによる征服宣言が行われた場所でもある。
・Googleマップ
■カテドラル/クスコ大聖堂
インカ時代には創造神ビラコチャに捧げられた神殿で、16世紀半に建て替えがはじまり、1654年に完成した。ベースはルネサンス様式の落ち着いた意匠ながら、バロック様式の装飾なども見られる。300トンの銀を使った主祭壇や、クスコの守護神ブラック・キリスト像、クスコ派の絵画等が有名。トリウンフォ教会が隣接している。
・Googleマップ
■ラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会
第11代皇帝ワイナ・カパックが築いたアマルカンチャ宮殿が改築されたもので、イエズス会の教会として建てられた。ファサード(正面)はコロニアル・バロック建築(中南米特有のバロック様式)の傑作とされる。主祭壇の黄金の彫刻が見事。
・Googleマップ ■ラ・メルセー教会
「慈愛」の名を持つルネサンス・バロック様式の教会で、こちらも1650年の大地震で破壊されて1675年に再建されている。黄金の主祭壇、クワイヤ(聖歌隊席)の木造彫刻、バロック様式の回廊等の見どころがある。金・銀・ダイヤモンド・エメラルド・ルビーといった宝石で装飾された聖体顕示台(儀式に用いる容器)は必見。
・Googleマップ
■コリカンチャ/サント・ドミンゴ修道院
インカ時代は太陽神インティに捧げられた太陽神殿。当時、壁は黄金で覆われ、金で作った黄金の木々や黄金の庭石、黄金の動物像が立ち並び、主祭壇には黄金のインティ像と銀の月の女神像が祀られていたという。植民地時代に土台や壁を残してルネサンス様式の修道院に建て替えられた。1950年の大地震で1/3が崩壊したが、インカの石組は影響を受けず、露出部分はそのまま公開されるようになった。
・Googleマップ ■サクサイワマン
市街を見下ろす北の丘に築かれた全長400メートルに及ぶ巨大な城壁。インカ時代には堅牢な城塞があったが、スペインの攻撃で破壊され、街の建設で多くの石が持ち去られてしまった。広場はインティ・ライミなどの祭や儀式で使用されていた。
・Googleマップ
■インティ・ライミとワラチクイ
インティ・ライミは6月下旬の冬至(北半球の夏至)を祝う儀式で、この日は元日でもあった。皇帝が太陽神インティに祈りを捧げるもので、9日間にわたって行われるインカ最大の祭りだった。一方、ワラチクイは9月の第3日曜日に開催される祭典で、成人を祝うアスレチック競技や舞踊などが行われている。
■サン・ペドロ・マーケット
ローカル市場。アンデスの高山やその向こうのアマゾン、西の海岸地帯などからあらゆる産物が集まる。ナマケモノのような熱帯性の動植物、ウミガメのような海産物、高所に生える儀式用の幻覚サボテン、少数民族の民芸品まで、見ていて飽きない。
・Googleマップ
マチュピチュだけじゃない! クスコ近郊の見どころ
クスコは世界遺産「マチュピチュの歴史保護区」や「マヌー国立公園」への観光起点だが、郊外にはこれら以外にもとても多くの見どころが存在する。現地ツアーも催行されているので、興味があったらぜひ訪ねてほしい。■プカ・プカラ
クスコの北3キロメートル(直線距離。以下同)ほどに位置する遺跡。「赤い要塞」という意味で、赤い岩で築かれていることから命名された。クスコに至る道の関所のひとつで、城砦跡や見張り台・中庭等が残されている。
・Googleマップ
■タンボマチャイ
プカ・プカラに隣接する遺跡で、皇帝も訪れた「聖なる泉」。沐浴場や宿泊施設跡が残されている。
・Googleマップ
■ピサック
クスコの北17キロメートルほどにある遺跡で、城砦や祭壇・棚田・水利施設等が残されている。「聖なる谷」とされるウルバンバの谷の南に位置し、谷を守る砦のひとつと考えられている。
・Googleマップ ■マラス塩田
クスコの北西約33キロメートルに位置する全長700メートルほどの塩田。深さ30センチメートル未満の浅い塩のプールが連なっており、いまでもインカ時代と同様の方法で塩が生産されている。
・Googleマップ
■オリャンタイタンボ
クスコの北西約45キロメートル、標高2800メートルに位置する都市遺跡。ウルバンバの谷の北に位置し、聖なる谷の防衛拠点でもあった。城壁や住居跡の他に、巨大な6枚岩からなる太陽神殿や17層のアンデネス(棚田群)などが見学できる。
・Googleマップ
■スカイロッジ・アドベンチャー・スイート
オリャンタイタンボ近郊の断崖に吊り下げられた信じがたいホテル。崖の中腹に張り付いたカプセル状の客室は透明なポリカーボネートで覆われていて、いつでも景色が楽しめる。詳細は公式サイト参照。
・公式サイト(英語/スペイン語/ドイツ語/フランス語/ポルトガル語)
・Googleマップ ■ヴィニクンカ山/レインボー・マウンテン
クスコの南東80キロメートルほどにある山。7色に輝く山肌からその名がついた。標高は5200メートルに達し、アンデスの絶景が楽しめる。周囲にはプマコチャ湖など見どころが多い。
・Googleマップ
クスコへの道
■エアー&ツアー情報日本からペルーへの直行便はないので、北米の諸都市を経由して首都リマに入るのが一般的。格安航空券で14万円程度から、ツアーは6日間25万円ほどから。
リマからクスコへは飛行機で移動するのが一般的。往復100ドルからで約1時間。バスでも移動できるが、20~30時間を要する。 ■周辺の世界遺産
クスコは世界遺産「マチュピチュの歴史保護区」や「マヌー国立公園」の観光拠点で、両遺産にツアーが出ている。マチュピチュは個人でも訪ねられるが、詳細はリンクの記事を参照のこと。
クスコ、マチュピチュ、リマ周辺には世界遺産「カパック・ニャン アンデスの道」の構成資産が点在しており、クスコ中心部も含まれている。
ペルーの玄関口であるリマには「リマ歴史地区」があり、「聖地カラル-スーぺ」や「ナスカとパルパの地上絵」も日帰り圏内だ。
クスコのベストシーズン
4~10月が乾季で、5~9月はほとんど雨が降らない。6~9月がもっとも気温が低く、平均最高気温は16度、最低は2度とかなり冷え込み、朝晩は氷点下まで落ち込むこともある。雨季は11~5月で、特に雨は12~3月に多い。ただ、多いといっても50~75ミリメートル程度で、東京の冬かそれより少ないくらいだ。もっとも暑いのは10~12月だが、平均最高気温は19度、最低は8度と、冬と比べてそれほど気温が上がるわけではない。
心配なのは高山病だ。クスコは富士山九合目にあたる標高3400メートルにある。リマのホルヘ・チャベス国際空港は標高34メートルなので、飛行機で飛ぶ場合、一気に3300メートル以上も高度を上げることになる。心配な人は日本で医師に相談して、薬を処方してもらうなどの準備をしておこう。
世界遺産基本データ&リンク
【世界遺産基本データ】登録名称:クスコ市街
City of Cuzco
国名:ペルー共和国
登録年と登録基準:1983年、文化遺産(iii)(iv)
【関連記事&サイト】