6割以上が仕事に強いストレスを抱えている
自殺者3万人台の連続記録は2011年でストップしたものの、働き盛り世代のストレス状況は、相変わらず看過できない状況です。2012年厚生労働省『労働者健康状況調査』によると、「強い不安、悩み、ストレス」を抱えている人の割合は、前回調査2007年より2ポイントアップの60.9%。同調査では、約3割の人が「仕事の量」や「仕事の質」に強いストレスを感じているという結果が毎回続いており、過労は日本の労働者にとって大きな問題になっています。
「つらい」を自覚できず、極端な認知に偏っていませんか?
つらさを自覚せず、働き続けていませんか?
これはうつ病に、症状が進行するにつれて感情を自覚しにくくなるという特徴があるためです。本当は泣きたいほどつらいのに「つらい」という気持ちがよく分からず、助けを求めず、休養もとらずに苦しい状況を引きずっていくと、「死にたくなるほどつらい」状況まで進んでしまいます。
また、人には過労状態に置かれると、極端な認知に走りやすくなるという特徴もあります。「この仕事を成功させなければ、自分は終わりだ」という「オール・オア・ナッシング思考」、「成功するまでやりぬかねば」という「すべき思考」、「このくらいできなければ社会人として失格」という「レッテル貼り」などは、過労に追い込まれた人に、よく見られる認知です。
その独特な認知によって、自分自身を目の前の仕事に駆り立てていくと、理想の結果が出なかったり、トラブルに遭遇したりしたときなどに、「自分はもう終わりだ」「生きている価値がない」といった極端な考えが湧き出し、究極的には「死ぬしかない」という結論に至ってしまいます。
その仕事、「命をかける」価値のあるものですか?
私たちは、「何のため」に働いているのでしょうか?
そこには「個」を重んじる西洋文化と、「無私」を尊ぶ日本文化との価値観のギャップがあります。西洋には、考える主体、行動を選択する主体としての「個」を徹底して尊重する文化が根付いていますが、日本では古くから「個」の幸せを追究することをよしとせず、他のため(国家のため、君主のため、義のため、家のためなど)に身を捨てることこそ、生きる美学と称えられてきました。
現代は、武士道も尊王思想もイエ制度も崩壊し、「社縁」すら消滅しつつある社会です。だからこそ、私たちの心に息づく「命をかけても他のために働きたい」という欲求が心の中でくすぶり、出口を求めて、自分自身を目前の仕事に駆り立ててしまうのかもしれません。そして、そんな私たちの精神性が続く限り、この国から「ブラック企業」も「やりがいの搾取」もなくならないのかもしれません。
誰の役には立たなくとも、私たちの命は一度しか得られない、かけがえのないものです。身を粉にして働く対象は、本当に「命をかける」ほどの価値があるものなのでしょうか? 命をすり減らす前に、自分自身を大切にする生き方、働き方を一度じっくり考えてみる必要があるように思います。