我妻さんが大駱駝艦に入ったきっかけは何だったのでしょう?
だけどあるとき知人に誘われ、白塗り・スキンヘッドのパフォーマンスを観に行ったら、見世物的な面白さにちょっと惹かれてしまって。踊りが面白かったというよりも、コレは何なんだという珍しさがあったんだと思います。そのとき折り込みのチラシに入っていたのが、大駱駝艦の無尽塾というワークショップのご案内。自分ももうすぐ社会人になることだし、最後に今まで一番やったことのない世界に挑戦してみよう、それで遊びは終
2010年『煩悩カケル』
ph松田純一
ワークショップではまず、何でもいいから3分間踊ってくださいと言われて……。たいていそういうところに来てるひとって、演劇をやっていたり美大に行っていたりと、表現することが好きなひとたちだから、何かしら動けるんですよね。でも私はとにかく恥ずかしくて、ずっと後ろ向きでもそもそ動きながら“早く3分経て!”って念じてました。非常に苦い思い出です(笑)。
でも二回目のワークショップに行ったら、“昨日はみなさんに踊ってもらったけれど、あれは自分の意識からくる動きで、大駱駝艦の目指すとこ
自分はただ地球にぶら下がってる革袋です、身体をからっぽにしましょう、革袋に水が入ってきてその水が揺れるから身体が動かされます、水がからっぽになるから身体がしぼんでいくんです、と全てが受動的なんですよね。意識して身体を使うのではなく、動かされるという使い方をするのは初めての体験だったし、その考え方に惹かれて毎回通うようになりました。
今までの自分と一番かけはなれたところ行こうと思って、大駱駝艦に飛び込んだ。でもいざ大駱駝艦に入ったら、親戚のおじさんと麿さんが友達だということがわかって……。一番遠くに行ったつもりが、実は全て手のひらの上で転がされてただけでした(笑)。
2014年、麿赤兒振付・演出
大駱駝艦・天賦典式『ムシノホシ』
ph川島浩之
大駱駝艦と出会わなければ、就職してOLになっていた?
我妻>就職活動をするのも私はかなり遅かったんですよね。ちゃんと目的意識があるひとは着々と準備をして、四年のはじめにはすでに就職先も決まってた。だけど私はそこまでバリバリやろうって意識もなく、普通に働ければいいやという感じ。たぶんOLになっていたけど、でもOLになりたかった訳ではないと思う。いろんな道があるのを知らないから働くしかないというだけで、それを望んでいたかというとそうじゃない。だからこそ、ここに来たのかなっていう気がします。
2010年『煩悩カケル』
ph松田純一