世界遺産/アフリカ・オセアニアの世界遺産

フェズ旧市街/モロッコ(3ページ目)

ほとんど自動車さえも入ることのできない迷宮都市・フェズ旧市街。人々はいまだラマやロバを利用して物資を運び、中世の街並みと暮らしを引き継いでいる。そんなフェズ旧市街で楽しいのは「迷い歩き」。今回はモロッコの世界遺産「フェズ旧市街」のできるだけ安全な迷い方を解説する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

フェズ旧市街の見所 3. フェズ・エル・ジュディド

ユダヤ人街、メラー

ユダヤ人街、メラーを探索。建物も通りもとにかく絵になる

王宮

現在も国王がフェズに滞在する際に使用される王宮跡

カラウィーン地区やアンダルース地区を中心としたフェズ・エル・バリ(古いフェズ)に対して、その西に造られた地域をフェズ・エル・ジュディド(新しいフェズ)と呼ぶ。

イドリース朝が滅んだあと、1276年にやはりベルベル人の一派であるマリーン族によって建設された街で、ここに王宮を立ててマリーン朝の首都とした。この王宮は現在も離宮として使用されている。新しいフェズといっても700年以上の歴史を持つ古都で、フェズ・エル・バリと同様に街歩きが楽しい地域だ。

 

メラー

メラーの整然とした街並み

ハイライトは旧ユダヤ人街=メラー。イベリア半島(スペインやポルトガル)でキリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)が進むと、イスラム教徒だけでなくユダヤ教徒もモロッコに南下し、あちらこちらにユダヤ人街を切り拓いた。そのひとつがフェズのメラーだ。

石造・白漆喰の建物に木製の窓やバルコニーが取り付けられており、所々パステル・カラーで塗装してあるかわいらしい建物が特徴で、フェズ・エル・バリの家並みとは異なる趣がある。

この他に、フェズ・エル・ジュディドにはユダヤ教の寺院であるシナゴーグ跡やブー・ジュルード庭園などの見所がある。

 

フェズ旧市街の歴史

アンダルース地区のルシーフ門

アンダルース地区のルシーフ門。この南にバス停やタクシー乗り場が広がっている

ブー・ジュルード庭園

フェズ・エル・バリとフェズ・エル・ジュディドの間に広がるブー・ジュルード庭園

北アフリカのイスラム化は7世紀に興ったイスラム教の大帝国、ウマイヤ朝(アラブ帝国)にはじまる。ウマイヤ朝はインド西部から中央アジア、西アジア、北アフリカ、イベリア半島を支配して、イスラム教を各地に伝えた。

やがて帝国ではアッバース家の革命が成功してアッバース朝(イスラム帝国)が成立するが、これに反対する勢力も少なくなかった。その一派がイドリース家だ。

言い伝えによると、イドリース家はイスラム教の開祖ムハンマド(モハメッド)の血を引く由緒ある血筋。イドリース1世はアッバース朝を認めなかったために追放されるが、ベルベル人の血を引いていたことから北アフリカで彼らの支援を受けることに成功。788年にスルタン(イスラム圏における王)となってイドリース朝を成立させ、フェズを建設した。

 

ダール・バトハ博物館

19世紀に建てられたムーア様式の王宮跡を公開しているダール・バトハ博物館

イドリース朝は974年に滅びるが、北アフリカでは8~12世紀にかけてアグラブ朝やムラービト朝、ムワッヒド朝といったベルベル人によるイスラム教国が成立。フェズはマラケシュやカイルアン、チュニスと並ぶ北アフリカの要衝として繁栄を続けた。

そして1196年にマリーン朝が興るとフェズを首都として整備。数多くのモスクやマドラサが建設されて、北アフリカにおけるイスラム教の中心都市として発展した。

マリーン朝が1465年に滅びるとフェズは先進都市としての立場を失うが、おかげで旧市街はそのまま保存され、いまに伝えられている。

 
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