ドイツ語

カントに学ぶ、真の「オレ流」を生きる思考法(2ページ目)

カントにショーペンハウアー、ヘーゲルにハイデッガー。何やら深遠にして難解そうな哲学者の多くはドイツ語でその作品を著しています。ドイツ語学習の動機が哲学書の原書での読解という方も少なくないでしょう。そこで今回は哲学者がドイツ語で遺した教訓の一つとして、その中でもとりわけ知られたカントの言葉を紹介いたしましょう。

宮城 保之

執筆者:宮城 保之

ドイツ語ガイド

定言命法の教え

Handle so, daß die Maxime deines Willens jederzeit zugleich als Prinzip einer allgemeinen Gesetzgebung gelten könne.“ (Kant: Kritik der praktischen Vernunft, A 54)
(ハンドレ ゾー, ダス ディー マキシーメ ダイネス ヴィレンス イェーダーツァイト アルス プリンツィプ アイナー アルゲマイネン ゲゼッツゲーブング ゲルテン ケネ)
「君の意志の格率がいかなる時も同時に普遍的立法の原理として妥当しうるよう行動せよ」

啓蒙の考えを踏まえカントの哲学に横たわる重要な考え方があります。それが三批判書の一つ『実践理性批判』(1788年)にて述べられる、定言命法kategorischer Imperativ/カテゴーリッシャー インペラティーフ)です。「定言的(kategorisch)」とは難しい言葉かもしれませんが簡単に言えば、たとえどのような状況下であれ揺るぎなく確固とした態度を取ること。そのような絶対的「命令(Imperativ)」として、ご覧のように「行動せよ(Handle/ハンドレ)」と命令形で記されています。

格率Maxime/マキシーメ)」という用語が分かりにくいですが、簡単に言うと、自分なりのルール、つまりは<オレ流>のことと考えてください。先の項目でも示したように、人はまず自らの知性によって道を開かねばなりません。格率とはそうした個人の内省から生み出される、いわば<オレ流>の原則なのです。ただしカントはさらに続けます。君自身の原則は同時に、「普遍的立法の原理(Prinzip einer allgemeinen Gesetzgebung/プリンツィプ アイナー アルゲマイネン ゲゼッツゲーブング)」に値せねばならない、と。

つまり<オレ流>を超えて、どんな人でも例外なく従うべき普遍的な「法(Gesetz/ゲゼッツ)」というものが存在する。私は自身のルールに従いつつ、同時にいかなる時もそれがその普遍的法の原理としても値しうるよう行動しなければならない。あくまで<オレ流>から発しつつも、その原則が私自身だけでなく他のあらゆる人にとっても例外なく当てはまるかどうか吟味されなければならないわけです。そうした吟味を経て初めて、<オレ流>に人間の法としての普遍性が認められるかが判断されます。

例えば戦争について考えてみましょう。ある国が「武力行使による平和の実現」を主張しているとします。これはその国の<オレ流>の考えです。しかし武力行使により犠牲者が出れば、当然反対する人たちも出てきます。これはその人たちのほうでの<オレ流>を踏みにじることになりかねません。つまりカントの言う普遍的立法原理にはなりえません。

この<オレ流>のルールから発して普遍的なルールへ至ろうとする態度は「自律Autonomie/アウトノミー)」と呼ばれ、哲学者にとって人の生の規範的ありかたを指す表現となりました。それはまた、いわゆる「人生哲学」の多くが狭義の哲学とは見なされない理由をも示しています。つまり「××氏の哲学」はそれがあらゆる人間に例外なく妥当するかという吟味を欠いている限り、哲学の追究する普遍的真理とは乖離したものに留まってしまうわけです。

我が上なる星空と、我が内なる道徳律

Kant_Denkmaltafel

カント生地の記念銘版にもこの名文が刻まれています(クリックで拡大) (C)Frickr_Sludge G

さてこの定言命法が目指すという普遍的な法、実は一般の法律の事ではありません。皆さんも耳にしたことがあるかもしれません。カントの心を感嘆と畏敬の情で満たしてやまないという二つのもの、「我が上なる星空と、我が内なる道徳律」。私たち皆が目指すべきは他ならぬその「道徳律das moralische Gesetz/ダス モラーリッシェ ゲゼッツ)」、いわば良心のおきてなのです。国家制度として作られた法律に従えば良しという考えは、<オレ流>から発すべき「自律」のありかたにあてはまりません。

知性によって世界を照らし出すこと。個でありながらも個を超越し、普遍的な法にならうこと。そうして世に普遍的道徳をもたらし、永遠なる存在に近づくこと。カントが提示するこうした可能性は、キリスト教で本来は神の属性とされてきた能力をあらゆる人間に進んで認め、その行使を促そうとする姿勢のあらわれです。
そして近代社会の発展を根底で駆り立ててきたのはこうした絶えることなき可能性の追求、すなわち"Aufklärung"の欲求に他なりません。今日のグローバリズムの拡大、インターネットの普及はその典型的な産物といえるでしょう。

ただし彼の代表的著作が"Kritik"、つまり限界付けと題されているように、その試みの焦点が置かれているのはあくまで、神のごとく全知全能とはなりえない人間の知的・倫理的・感覚的制約を描き出すこと。カント哲学のメッセージに耳を傾けようとする者は、この点に常に留意する必要があるのです。

【参照】: Korpora.org: Bereitstellung und Pflege von Kants gesammelten Werken in elektronischer Form
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