京浜兄弟社との繋がり
ガイド:賢崇さんもそうですが、東京タワーズ、コンスタンスタワーズ、EXPO、もすけさん等、京浜兄弟社に関わる人たちが多いですよね。ナゴム勢もいますが、京浜兄弟社はナゴムとも繋がっていたというのもありますね。僕がまだPOP ACADEMYというサイトを更新していた頃、岸野社長の御好意により懐かしのハイパーカードで作成された『京浜購入ガイド1.0』(94年版)を頂き、勉強させてもらいました。京浜兄弟社は「集団がきらいな人達が集まって作った音楽研究集団」と自称していますが、サエキさんは京浜兄弟社とはどのように繋がっていったのですか?
サエキ:
東京タワーズには、1982年ハルメンズの解散コンサート「ハルメンズの伝説」でフロントで歌ってもらって以来の関係。それに、「テクノばばあ」というどくろ団というユニットとの合作が加わり、次第に京浜兄弟社の全貌と触れていくのです。それは、打ち込み音楽が中心で、いわゆるバンドのりとは違った。パール兄弟自身も、バンドブームの中にいても、ニューウェイヴ出身として機能していた面もありましたから、そこで距離が近かったわけです。
ガイド:
パール兄弟のサポートをしたリーマンズのメンバーも京浜兄弟社の人達が中心ですよね。そう言えば。
サエキ:
そうです。賢崇君にも、中嶋君にも、もすけさんにも。そして手塚眞さん、ラッキイ池田さん、ラッパーのECDもいました。某人気アイドルグループに扮装をマネしていただいたことがあります。
隣のインド人とインド大話術団
ガイド:賢崇さんとこのイベントをやる事になったきっかけは?
サエキ:
六本木インクスティックから何かイベントやってくれ!という誘いがあったからです。そのコーディネイター「Kachi Yuuka」さんはその後、スチャダラパーのマネージャーにもなるノリの良い女性でした。また、ブレイク前のシャーデーが出演した後の頃です。
ガイド:
サエキさんと賢崇さんのユニット、まるでインド大魔術団をもじったようなインド大話術団は、ハレはれナイト限定で作られた考えていいのでしょうか? また、インドというのは、やはりサエキさんが作詞し、戸川純さんが歌った「隣の印度人」というのがルーツにあるのでしょうか?
サエキ:
それが頭にあったことは間違いありません。前述のような「無国籍性」の象徴として「印度人」が機能していたのです。怪しい印度人を呼び水として、多様な妖しい、新しい無国籍音楽を呼び込むと。ニューウェイヴがもはやキャッチとして使えないこともありましたね。その企画性のため、孤高の存在となってしまいました… もちろん、ハレはれナイトのためのMCがインド大話術団であり、新しく妖しい音楽のために存在する正義のユニットです!
ガイド:
森若香織さん(GO-BANG’S)、戸川純さん、北川晴美さんとゲストボーカルも豪華ですね! サエキさん、賢崇さん、お二人ともボーカリストでもありますが、あえて、今では決して珍しくない女性ボーカルとのコラボというフォーマットを取られた理由は?
サエキ:
戸川純さんは、本当に特別に参加して下さいました。この曲は、「玉姫様」の次のアルバムのために提出してお蔵入りになったVOICEの立川芳雄君(『陽気な若き水族館員たち』のVOICEのメンバーで、ヤプーズの初代キーボード)の曲となります。クラフトワーク命の沖山優司君の打ち込みは流石です。
森若さんも、忙しいのに良く参加して下さいました。素晴らしいボーカルです。北川さんもデビューした直後で、嬉しかったです。インド映画にはヒロインがつきもの。それも映画ですと、数名の美人が入り乱れる。そういう「踊るマハラジャ」的なノリを作りたかった。どの方も超美形で、謎を秘めている!
ガイド:
お二人でされた「インド人との対話」、これはスネークマンショーへのリスペクトとも取れますが。
サエキ:
もちろんあります。しかし、全く太刀打ちできないこともわかっているので、お邪魔にならない程度に、ということです。その辺の逃げ足が、インド大話術団の特徴、本領です。