テクノポップ/アーティストインタヴュー

『ハレはれナイト』復刻(2ページ目)

ソリッド・レコードより初期重要作品、3タイトルが同時リリースされました。その中から先ず『ハレはれナイト』復刻を記念して、インド大話術団としても加藤賢崇さんと活動されたサエキけんぞうさんに当時のお話を伺いました。バンドブームの時代、このイベントからその後様々な分野で活躍される人を輩出しました。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

イベントとしてのハレはれナイト

ガイド:
『ハレはれナイト』は実際にサエキさんが加藤賢崇さんとやっていたイベントから派生したものですが、このイベントは当時何度行われたのですか? また客層としてどんな人たちが来られていたんでしょう?

サエキ:
kenzosaeki

サエキけんぞう(インド大話術団)

東京で7回、京都で1回というところでしょうか?その後、2008年に1回横浜でやってます。客層は、パール兄弟や京浜系のファンというところです。当時はその二つが融合してましたから。また、サエキのマネージメントがウルトラヴァイブの前身のSFCでしたから、イベントの運営も、SFCがやってました。

 

ガイド:
サエキさんはこの時期、少年ホームランズ、ハルメンズを経て、パール兄弟として活動されていた時期と重なりますが、パール兄弟の楽曲に「ハレ・はれ」というのがありますよね。やはり、イベント名はそこからなんでしょうか?

サエキ:
そうではあるんですが、イベントで「ハレ・はれ」を歌ったことはない。ノリで決めたと思われます。なんかパっとした感じがするということですね。おそらく当時の音楽好きのSFC的なノリ(高護さんがいて、サエキがいて、賢崇君もいて、みたいな感じ)だと思います。

ガイド:
minka

ミンカパノピカ

80年代終盤は、まだ弾けていなかったバブル時代、音楽史的には「イカ天」などの功績もあり、ちょうどバンドブームでしたね。時代背景としては、テクノポップ~ニューウェイヴ系の人たちにとっては80年代前半のブームも一段落し、必ずしも追い風ではなかった気もしますが、どうなんでしょう? 確かにミンカパノピカは「イカ天」にも出場してましたから、無縁でもないですが…

 

サエキ:
まず、このアルバムの使命として、「ポストテクノ・ニューウェイヴを包含する」ということは間違いありません。しかし、世はバンドブームでありましたから、その中でリリースするということは難しい。つまり80年代後半の中でいかにそれを機能させるか?ということで、インド大話術団をかつぎ出したといえます。

ガイド:
改めて聴いてみると、バンドサウンドでもなく、テクノポップは通過しているけど枠にもハマらない、いや一般的な意味でのポップ・ロックにも収まりきらない個性的な人たちの音楽が集まってますよね。逆に「ハレはれナイト」の面白いところだと思いますが、これはそれほど意識せずに繋がる人たちが集まった結果でしょうか?

サエキ:
実は、審査員をしたコンテストで出会ったにSYZYGYS『Fauna Grotesque』に衝撃を受けまして。43微分音オルガンも凄いですが、何より、ポストニューウェイヴにマイペースな動きとして出てくる新しい音楽があったことが重要でした。で、ハイポジ、コンスタンスタワーズ、EXPO、もすけさん、クララ・サーカス等は、その文脈で合致した。すなわち僕の中で京浜系という存在も東京タワーズと共に組み上がっていったわけです。また、パール兄弟『TOYVOX』の共同プロデューサーであるはい島邦明さんの狂気のハイセンスも絶対に入れたかった。一言でいえば、常人から見た「楽しげな狂気を秘めた音楽」。もう一つは、ワールドミュージックとは違う「無国籍音楽」というくくりです。

 

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