FM西東京収録中の関口誠人さん
1985年、「Romanticが止まらない」で、巧みなコーラスワーク、過剰ともいえるテクノなサウンド、そして原色カラフル・ヘアで僕たちを魅了してくれた5人組・・・それは、C-C-B!

C-C-Bのメンバーは・・・
渡辺英樹(ヒデキ):Vo、Bass
関口誠人(ゴム):Vo、Guitar、Sax
笠 浩二(リュウ):Vo、Drum
米川英之(ヨネカワくん):Vo、Guitar
田口智治(チュウ):Vo、Keyboard

C-C-B時代から現在に至る、関口誠人さんの歴史をここに語っていただくため、登場いただきます。また、最終ページにリンクした「笹公人のコズミック対談」をお読みいただくと、C-C-Bと関口誠人さんに関して、異常に詳しくなれます。

ココナッツ・ボーイズとしてデビュー

――今回のインタヴューは、C-C-Bとして一世を風靡された関口誠人さんです。デビューは、青山発のミニFM局KIDS(レーベルとしてはAlfa Moon)から1983年にリリースされた企画アルバム『Raspberry Avenue』ですよね。そして、このころは、まだココナッツ・ボーイズ。 フルーティなネーミングに統一された集団、KIDS ALL STARSとして、パイナップル・ボーイズ、パパイヤ・ガールズ、オレンジ・シスターズとともに収録されていますが、この企画に加わったきっかけは?

話は今から25年近く前にさかのぼります。80年という良くも悪くも華やかさに満ち溢れていた当時飲食業界も多様化していき始めていて、喫茶店のウエイターのバイトをしていた僕は実兄のすすめで、原宿に出来始めたカフェバーという新しいスタイルのコーヒーも酒も飲めるオシャレな店がこれからは伸びるぞってんで今や誰もが知っている「ゼスト」という店でアルバイトを始めたわけです。話はちょっと横道にそれますが、その原宿ゼストは有名人などもよく来ていて、その中にはYMOの高橋ユキヒロさんや坂本龍一さんなどもいまして、当時の憧れの人達だったから、ここはナイスなバイト先だ、と毎日楽しかったですね。そんな人達がやってくるくらいだから当然レコード会社の社員の人とかもよく来ていました。特に当時原宿にビクターレコードがあったからビクターのディレクターの方がよくいらしていてその方とすぐ仲良くなりました。その人に自分のデモテープを渡していてちょっとだけ興味をもたれていたんです。で、その方がまず最初にベースの渡辺君を紹介してくれたんです。それがきっかけです。

――そして、ココナッツ・ボーイズとしての正式デビュー・シングルは、萩原健太さんが関わった『Candy』(1983年)ですね。ジャケからして、ビーチ・ボーイズ的サーフ・ロック系に見えますが、メンバーの音楽志向もその辺にあったのでしょうか?

実は今だから話せるって感じの話しですが、ビーチ・ボーイズとかジャン&ディーン等のサーフサウンドを知っていたのは僕だけで、それも知っているって言っても1、2回代表的な曲を聴いた事があるっていう程度。僕以外のメンバーはみんなハードロック小僧っていう感じの奴等なので、みんなとまどってましたね。でもその企画だったらレコード出せるって当時の事務所の社長に言われて何も考えずに必死でレコード聴いてハーモニーとか勉強したんです。そんな一夜漬けじゃやっぱりダメだと判断した当時のディレクターの渡辺忠孝さんという人が、当時まだ暇してた萩原さんを連れてきたんです。ちなみに渡辺氏はあの筒美京平先生の弟さんでC-C-Bの育ての親です。